世阿弥は 「三道 (能作書)」 を以下の文ではじめています。
(参考)
まず能作品の制作は、種 (素材となる人物)・作 (物語的
音楽的な構成) および書 (文体・曲節) の三つの契機から
成り立っている。
そのあとで、種・作・書について、それぞれ、詳しい説明を記しています。
さて、私が ここで テーマ にしたいのは 「三道」 のなかで、「序・破・急」 の適用例が示されている点です。「序・破・急」 を最初に使った人物がだれであるかを私は知らないのですが──舞楽から出てきたそうですが──、少なくとも、謡曲において、世阿弥は 「序・破・急」 を説いていて、それが近世以降の文芸・演劇・音楽に与えた影響は大きいので、われわれが知っている 「序・破・急」 は謡曲からの影響であると思っていいでしょう。尤も、世阿弥の著作は 「秘伝」 とされていて、かれの著作を近世以降の人たちが直接に読んだとは思えないのですが、謡曲の構成が──すなわち、「序・破・急」 の構成が──近世以降の文芸・演劇・音楽に対して影響を及ぼしたのは確かな事実です。「序・破・急」 について、世阿弥は、「花鏡」 のなかで独立した項を立てて説明しているのですが、どちらかと謂えば、一日の演目構成に対して適用されています。世阿弥は、「序・破・急」 という構成を、一日の演目構成だけではなくて、一つの曲のなかでも守らなければらないとしています。そして、その具体例が 「三道」 のなかで記されています。
「序・破・急」 という律動展開は、以後の時代に多大な影響を与えて、現代でも、演芸に限らず通俗的にも、ひとつの まとまった構成を作るときに、「序・破・急」 の構成を ひとつの手本にしているようです。私が最近読んだ──ただ、私は書店で立ち読みしたにすぎないのですが──「(マスコミ で編集長を かつて務めたというひとが執筆した) 作文の書物」 でも 「序・破・急」 を説明していました。ほかにも、昔読んだ──この書物は買って読みましたが──英語学習法の書物でも、「序・破・急」 が出てきて、(今、その書物がてもとにないので正確に引用できないのですが、) たしか、書物の題にも 「序・破・急」 という ことば が入っていたように記憶しています。それらの説明を読んでいて、私は、「序・破・急」 が本来の意味で伝わっていないのではないか と疑問を感じました。それらの書物では、「序・破・急」 を三段階の展開として説明しているのですが──その説明そのものは、それで正しいのですが──、「序・破・急」 は、実際に適用されたときに、単に三段階で構成されたというほど単純な構成ではないことを それらの書物は言及していなかった。言及していなかった理由は、「序・破・急」 を通俗的な (あるいは、辞書的な) 意味でのみ理解していて本来の意味を知らなかったのか、それとも、本来の意味を知っていても通俗的・辞書的な意味で使ったのかを私はわからないのですが、具体的な技術 (たとえば、日本語の作文技術) を説明した書物であるならば、本来の意味にも言及してほしかった。
世阿弥の謂う 「序・破・急」 は、正確に云えば、五段階の構成です。すなわち、「破」 は、そのなかで、さらに、三段階の構成になっています。世阿弥の言を以下に引用します。
まず、遊芸の基本的な律動構成をかたちづくる序・破・急で
あるが、これは実際には五段階のかたちをとって展開する。
すなわち、序の律動が一段、破の律動が三段、それに急の
律動が一段である。
世阿弥は、「三道」 のなかで、それぞれの段を具体的に説明しています。そして、破の律動が三段になる理由を世阿弥は以下のように綴っています。
ここから破の律動にはいるのだが、「シテ」 と呼ばれる
主要人物が出て、それが登場の謡 「一声 (いっせい)」 を
あげるところから、やはりひとまとまりの長い詞句を謡う
ところまでが、破の部分の第一段である。そののち 「シテ」
と 「ワキ」 の会話があって、ふたりが合唱のかたちで
ひとくさりを謡う部分が、破の部分の第二段にあたる。
さらにそのあとで、曲舞 (くせまい) の謡にせよ小歌
(こうた) 節の謡にせよ、ひとくさりの音曲を聞かせる
場面があって、これが破の部分の第三段である。
能楽に親しんでいるひとは、以上の文を実際の舞台に照らして直ぐに納得できるでしょう。ただし、世阿弥は、五段階を基本形としながらも、六段階からなりたつ場合もあれば、四段階に構成される場合もあるとしています。五段階を基本形とする理由は、上に引用した文を読めば理解できるでしょう──つまり、「破」 は、演戯のなかで中核になるので丁寧に構成されていて三段階のなかで シテ と ワキ の やりとりを示して、「序」 は 「破」 に先行する案内の役割 [ ワキ が 「次第」 を謡う ] であり、「急」 は 「破」 に対して 「揚げ句」 として畳みかける役割です。「序・破・急」 を三段階の展開として単純に説明されると 「破」 の構成が手薄になって、下手をすれば、「破」 は 「急」 に到るための過程にすぎないと思われかねない。「破」 は一曲の かなめ です。
「序・破・急」 を図式化すれば、以下のようになるでしょう。
序 (次第) → 破 (一声、かけあい、音曲) → 急 (揚げ句)。
「破」 のなかが 「序・破・急」 で構成されているのがわかるでしょう。現代数学風に云えば、「破」 は、ひとつの代入関数です。その点を私は 「『序・破・急』 は三段階構成というような単純な構成ではない」 と謂った次第です。「破」 だけでも一つの作品として独立できます。ただ、「破」 だけでは、物語の背景がわからないので 「序 (次第)」 を入れて、そして、物語の 「名残 (なごり)」 (あるいは 「一気の畳みかけ」) として 「急」 を置いて、「序・破・急」 の展開で一つの詩劇を構成しているのです。「序・破・急」 を三段階構成として単純化してしまっては、構成の豊富性を見くびってしまいかねない。
キーワード というのは、疎通のなかで 「最小限の意味」 に圧縮されるのかもしれない。そうであれば、もし、なにがしかの キーワード に興味を抱いたならば、その キーワード が疎通のなかで落としてきた意味を遡及して調べるべきでしょうね。
(参考) 「世阿弥」 (日本の名著 10)、中央公論社、山崎正和 訳。
(2009年11月23日)