本居宣長は、「玉勝間」 の 「あらたなる説を出す事」 のなかで、以下の文を綴っています。
(参考)
近世になって、学問の方法が開拓され、いったいに万事に
ついての取り扱い方が敏速で巧妙になったために、思い思い
に新説を出す人が多く、その説がよければ、世間に賞賛され
るので、たいていの学者が、まだ十分に整頓もしていない
うちから、他人にひけをとるまいと、ふつうとは違った珍しい
説を打ち出して、人をびっくりさせるのが、現代の風潮である。
(略)
総じて新説を提出することは、ひじょうに重大なことである。
幾度もくり返し考えて、十分確実な根拠をとらえ、どこまでも
筋が通っていて、矛盾がなく、動かし難い説でなければ、
安易に提出してはならないことである。発表当時には、得意
然となってよいと思う説でも、しばらくたって後に、もう一度
よく考えてみると、「やはりまずかった」 と、自分自身でさえ
考えるようになることが多いものなのである。
上の引用した文は、私にとって耳の痛い文です。というのは、拙著 「T字形 ER データベース 設計技法」 (1998年)──通称 「黒本」 と云われている著作です──が、まさに、「発表当時には、得意然となってよいと思う説でも、しばらくたって後に、もう一度よく考えてみると、『やはりまずかった』 と、自分自身でさえ考えるように」 なった著作だから。ただし、当時、私には、「他人にひけをとるまいと、ふつうとは違った珍しい説を打ち出して、人をびっくりさせる」 意図など毛頭なかったことは断っておきますが。困ったことに、「黒本」 は、マーケット で ウケ た。
「黒本」 を出版した後から今に至るまで、私がやったことは 「黒本」 の間違いを正すことでした。言い換えれば、「黒本」 で提示した T字形 ER手法の不備を 「どこまでも筋が通っていて、矛盾がなく、動かし難い説」 にするために、ひたすら推敲し続けてきた、ということ。そして、改良した T字形 ER手法の名称を TM というふうに変更しました。今であれば、私は、TM が 「どこまでも筋が通っていて、矛盾がなく、動かし難い説」 に近づいたと自信を持っています。
TM は、一見、T字形 ER手法と ほとんど変わらないように見えますが、10年以上の年月を費やして整えてきたので、当然ながら、隅々に至るまで吟味されていて、モデル としての正当化条件・構成要件を実現した体系になっています。そして、私は、今後も、TM を推敲し続けるでしょう。
TM の体系 (および、個々の技術) は、今後、そうそう変化しないと思うのですが──ちなみに、TM の基底になっている概念は { 個体指定子, 全順序, 半順序, 切断, L-真, F-真 } ですが──、全順序・半順序を使った 「関係」 文法のなかで { event, resource } の文法は 「数学的に」 説き証 (あか) せないので──ホワイトヘッド 氏・パース 氏の形而上学を借用した解説になっていますが──、その理由を私は追究しなければならない。その争点は、関係主義と実体主義との グレーゾーン で起こった問題点なので、とても難しい論点です。
「(TM は) いつ完成するのですか」 と問われたことがあるのですが、現時点で完成していると言ってもいいのだけれど、現実的事態 (事業過程・管理過程) を対象にしているかぎりにおいて、終わりのない推敲を続けるほかにない。というのは、現実的事態を対象にした モデル の定則は、現実的事態に対して つねに験証を続けて、現実的事態が環境変化 (法律の改定や、新しい取引の出現など) に対応して新たな事業形態が出てきたときに、それらの新しい形態に対しても適用できるかどうかを験証しなければならないので。カール・ポパー 氏 (科学哲学者) は、モデル の進化を 「P1 → TT → EE → P2」 という図式で示しました──P1 は思考対象となった問題点で、P1 からはじまって、TT という 「暫定的な ソリューション (あるいは、理論)」 に進み、TT は部分的あるいは全体的に間違った理論かもしれないので、EE という 「誤り排除」 (実験的 テスト、験証や反証) の篩 (ふるい) にかけられる、という進化の過程です。モデル は、この進化過程を螺旋状に登り続けるしかない。
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。
(2010年 1月16日)