本居宣長は、「玉勝間」 のなかで、「学者のまづかたきふしをとふ事」 を綴っています。
(参考)
(略) こういう風なむずかしいことを、まず究明したいと思うのも、
学者の共通の気持ちであるけれども、それなら平易な事柄は、
みな よく明らかにし知っているかと、ためしてみると、たいへん
たやすい事項でさえ、まだよくも理解していない。そんな人が、
飛び越えて、まずむずかしい条項を究明しようとするのは、
たいへんおもしろくないことである。よく通じると思って、心も
とめない事項に、案外な考え違いが多くあるものであるから、
まずたやすい事柄を、幾度も くり返し考え、質問して明らか
にもし、よく理解できて後にこそ、むずかしい箇条に、意を注ぐ
ようにすべきことである。
宣長の この言を、私は実感をもって──数学基礎論の学習において、じぶんの体験に照らして──納得します。私が数学基礎論の学習をはじめたときに、なにはさておいて、なんとか、「ゲーデル の不完全性定理」 という定理が どういう証明なのかを知りたかった。そのために、私は、「ゲーデル の不完全性定理」 に関する入門書を多数読んで 「予備知識 (一般向けの簡単な解説)」 を得て、定理そのものを読んだのですが、「原始帰納的関数」 や PM (Principia Mathematica) や 「ペアノ の公理系」 を知らないので、当然ながら、「ゲーデル の不完全性定理」 を 皆目 追跡できなかった。そのときの口惜しさが動因になって、以後、私は、数学基礎論を 「基本」 から直向 (ひたむ) きに学習するようになった次第です。そして、私は 10数年に及んで数学基礎論を学習してきましたが、それでも、「基本」 が 「わかっているようで、わかっていない」 ことを たびたび 痛感しました。
数学基礎論を学習しはじめた頃に、私のなかで スッポリ と抜け落ちていた知識が 「p → q ≡ ¬p ∨ q」 の証明でした。この同値式は、数学の証明のなかで たびたび 出てくるのですが、私は、その同値式を 「丸暗記」 していただけであって、腹に入っていた訳ではなかった。ちなみに、その証明は、以下のとおり── p → q ≡ ¬ (p ∧ ¬q) ≡ ¬p ∨ q。
そして、私は、「対偶 (p → q ≡ ¬q → ¬p)」 の使いかたも、当時、慣れてはいなかった。今でこそ、私は、論理的否定 (あるいは、補集合) と 「対偶」 を使いこなすようになっていますが、当時は、こういう基本的な思考法にも慣れてはいなかったのです。
さらに、「同値類」 の考えかたを、当時、知識としては持っていたけれど、なかなか、使いこなせなかった。特に、推移律は、数学では、とても重要な律です。たとえば、(a → b) ∧ (b → c) → (a → c) において、b として自然数を考えれば、「間接証明」 として推移律を使うことができます。もう一つ考えてみましょうか、「サブセット のあいだには まじわり はない」 という命題を推移律を使って証明してみましょう──ちなみに、「サブセット のあいだに まじわり (AND 関係) があっても良い、どこが悪いんだ」 と開き直っていたひとがいましたが、そのひとが エンジニア であるならば、数学を少し学習してほしいと私は思いました。
では、証明、
(1) 集合 A において、a1 を代表元とする部分集合 (同値類) k (a1) を
考えます。
(2) 次に、k (a1) に属さないで、a2 を代表元とする部分集合 (同値類)
k (a2) を考えます。
(3) そして、b を k (a1) にも k (a2) にも属する、と考えてみます。
(4) そうすれば、{ k (a1) 〜 b } {k (a2) 〜 b }.
そして、対称律にしたがって、{ k (a1) 〜 b } { b 〜 k (a2) }.
さらに、推移律にしたがって、{ k (a1) 〜 k (a2) }.
ゆえに、前提に反するので、b は k (a1) と k (a2) において同時に
属することはない。
「原始帰納的関数」 を学習するには、その起点として 「スコーレム 関数」 を知らないと理解しにくいでしょうね。たとえば、F = f (x, y) において、x と y が 集合 I に属するとすれば、直積 I × I を考えて、y を f' (x) として考えることができるでしょう。したがって、f (x, y) を f (x, f’(x) ) として構成することができます。この構成にすれば、帰納法を使うことができますね。え? 帰納法を知らないって、、、そう、帰納法も、学習において基本ですが、疎かにできない数学的な考えかたです。
さらに、「一般帰納的関数」 では、「位相」 と からめて、「閉包 (クロージャ)」 「特徴関数」 および 「外点」 を納得のゆくまで学習しておかないと、ひとつの公理系に他の公理を ひとつ足したときに、「完全性」 を実現できるかどうかという考えかたを理解できないでしょう── Cμ = { (x1, ・・・, xn) ∨ y }.
ほかにも、納得のゆくまで学習しなければならない基本概念があるのですが、私が謂いたい点は──そして、宣長が謂っている点は──、そういう基本概念を まだ理解していないひとが 「飛び越えて、まず むずかしい条項を究明しようとするのは」 非効率だ、ということです。そして、宣長の謂うように、「まず たやすい事柄を、幾度も くり返し考え、質問して明らかにもし、よく理解できて後にこそ、むずかしい箇条に、意を注ぐようにすべきことである。」──特に、数学では。なぜなら、数学は、前提からはじめて、飛躍のない推論を構成する学術だから。
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。
(2010年 5月 1日)