本居宣長は、「玉勝間」 のなかで、「うたを思ふほどにあること」 として以下の文を綴っています。
(参考)
歌を詠もうと思って考えめぐらしている間に、一点考え得た
ところがあるのに、思うように表現をととのえることができな
いで、時間がたつまで考え、場合によっては幾日もかけても、
同じ方に拘泥して、いろいろと続けてみても、結局らちがあか
ないことがあるものである。そういう場合は、その趣向をさっ
ぱりと捨て去って、さらに別の方面に趣向を求めるのがよいも
のなのだが、それでもやはり惜しくて捨てにくく、不満足には
思いながら、しかたなく、無理に言葉を続けて作り出したのは、
たいへん意地きたないやり方ではあるが、だれにでもよくある
ことである。また、そのように長く考えあぐねている間に、その
拘泥していた方面以外に、思いがけなかったよい考えが、
ひょいと脇から現れて来て、たやすく詠み出されることもある。
けれども、それだって深く沈思していたために、そうしたよい
趣向も出て来るのであって、最初からの苦心が、むだになった
わけではないのである。だいたい上に述べたことは、役にも
立たないむだ口ではあるが、思い出したままに記しつけたの
である。
宣長は、以上の感想を 「歌 (の詠み)」 に即して述べているのですが、その感想は、およそ、なんらかの言説を──小説であれ、学説であれ──作ろうとしている途上で思う所感ではないでしょうか。
「いろいろ続けてみても、らちがあかない」 日々が続いて、辛くなって離れようとしても、離れられない。そして、ときに、「長く考えあぐねている間に、思いがけなかった よい考えが現れて来る」 ことがある──「深く沈思していたために、そうした よい考えが出て来るのであって、苦労が むだになったわけではない」。
私 (佐藤正美) は、TM (T字形 ER手法の改良版) を作っている途上で、いくども、そういう体験をしてきました。今、振り返ってみれば、そういう体験を微笑んで振り返ることができますが、実際に そういう状態にあるときには、ただただ苦しいし、じぶんの思考・生活を賭 (と) した危険な冒険でした──というのは、そういう苦しみを体験したからといって、かならずしも、「思いがけなかった よい考え」 が現れて来る訳ではないから。寧ろ、そういう苦労が、徒労に終わったことのほうが多い。苦労が徒労に終わったときには、「辛い」 という程度の状態じゃなくて、じぶんの思考・生活そのものの存在が価値のないように思われて、虚無感が たびたび襲ってきました。まるで、TM が 「呪い」 のように感じられました──じぶんの作った物が じぶんを苦しめる、と。
私の感性が確実に感じていることを私の思考 (および、技術) が追いつかないので、感性と思考とのあいだに亀裂が生じて、じぶんの人生そのものが無意味になったような感に襲われたこともありました。感性と思考との亀裂から生じる辛さのために、私は思わず人前で泣いたこともありました。そういう状態に陥ったときに、今振り返ってみて、強烈な虚無感を なんとか乗り切ってきたと思います──私は、センチメンタル な気持ちで、「思い出」 話を語っているのではなくて、およそ、ひとつのことを ひたすら追究している途上で そういう体験をした ひとであれば、その苦しさを共感してもらえるでしょう。
モデル の文法を作る仕事は、じぶんの作った物が最高であるとか、じぶんは頭がいいので他の人たちに比べて物事を見通すことができる、と己惚れを持つほどの呑気な仕事じゃない。モデル の文法を作るというのは、文法の正確性を徹底的に追究するしかない。
そういう体験 [ よい考えがでない体験 ] を いくどもしてきて、苦しみながらも一歩ずつ仕事を進めてきました。私 (TM) が wiki や 2チャンネル で色々と批評されてきたそうなので、批評されること自体は、こういう仕事をしていれば当然ですが、TM を どうこう評する人たちに対して、「私は、手袋をはめた手で、仕事をいじられたかない」 と思っています──それが、私の矜持です。
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。
(2010年 6月23日)