Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション achievement のなかで、以下の文が私を惹きました。
One never notices what has been done; one can only
see what remains to be done...
Marie Curie (1867-1934) Polish chemist.
Letter to her brother, 18 Mar 1894
We never do anything well till we cease to think about
the manner of doing it.
William Hazlitt (1778-1830) British essayist.
On Prejudice
いずれの文も、「逆説」 の形で或る 「真実」 を述べているようですね。最初に引用した文を読んだとき、私は、三島由紀夫氏の以下の ことば を思い起こしました (「『われら』 からの遁走」)。
過去の作品は、いはばみんな排泄物だし、自分の過去の仕事に
ついて嬉々として語る作家は、自分の排泄物をいぢつて喜ぶ狂人
に似てゐる。
ひとつの アウトプット は、その構成を語ることができても、それ自体では評価できないでしょうね。それが他の事物に対して いかなる作用 (あるいは、有用性) があるかを考えてはじめて評価されうるでしょう。数学的に言えば、ひとつの 「閉包 (closure)」 の特性関数を記述できたとしても、その 「閉包」 の外点が存在していて、もし、その外点が、その特性関数のなかの変項に組み入れられるのであれば、「閉包」 は 「開いている」。もし、外点が その特性関数の変項にならないのであれば、「閉包」 は 「閉じている」。
二番目の英文は、「やりかた を思案している」 態度──やりかた ばかりを考えている態度──を諭している文でしょうね。簡単な英語で言えば、Don't talk it. Take it. ということ──拡大解釈すれば、「能書きを垂れていないで、実行しなさい」 というふうに考えてもいいでしょう。引用文のなかの well は絶妙ですね。この well には、「工夫しなさい」 という意味があると私は思っています。事をなそうとしても思惑どおりにならないというのが実態でしょう。しかし、やりかたを思案しているときには、あたかも、われわれが思案したとおり事が運ぶように錯覚してしまう。実際は、やりかた が難しいのではない。「真」 たる前件 (前提) を定立することが難しい。そして、前件を立てるには、実際の事態に直面しなければならないし、たとえ、前件を いったん立てたとしても、いくども改訂しなければならないことが多い。
Achievements を枚挙して喜ぶことは、時には、じぶんを鼓舞する ちから になるのかもしれないけれど──私は、そういう振る舞いなど悪趣味だと思っていますが──、最前線で仕事を続けるのであれば、常に、次に戦いを挑む対象に眼を向けていたい。そして、その対象は、私が今まで歩いてきた道の延長線上に存在して、私が今まで信じてきた やりかた で掴まえられた対象でしょうね。私の思いを代辯してくれている Ugo Betti 氏の ことば を以下に記載します。
Who cares about great marks left behind?
We have one life, rigidly defined.
Just one. Our life. We have nothing else.
しかしながら、もし、じぶんの歩いてきた道を さらに歩み進める意気──すなわち、「see what remains to be done」 の意気込み──が失せたとしたら、、、舞台を静かに降りるべきでしょうね。achievements を列挙して喜ぶような阿房にはなりたくない。
(2011年 1月 1日)