Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション action のなかで、以下の文が私を惹きました。
So many worlds, so much to do,
So little done, such things to be.
Alfred Lord Tennyson (1809-1892) British poet.
In Memoriam A.H.H., LXXV
詩人の ことば は、さすがに簡潔で適確ですね。
such things というのは、その文の前に綴られたこと── so many worlds, so much to do, so little done ──のことでしょうね。実存主義を信奉するひとなら、上の文を以下のように並べるかもしれない。
So many worlds, the world to be,
So much to do, so little done.
私は、このほうを実感としています──世界 (数多い可能世界 so many worlds のなかで、今現存している世界) が そうあることこそ 「真如 (あるいは、如是)」 だ、と。そして、私は それらの可能的世界 so many worlds のなかで、実現したいことが たくさんにあるけれど、ほとんど実現していない、と。
私は、ここで 「物事を変えるには行動しかない。能書きを垂れていないで実行しなさい (Don't talk it. Take it.)」 などという ありきたりの訓戒を述べるつもりはないのであって、様々な可能態のなかで、現存する世界 (あるいは、私) が そうあるのは一体いかなる原因 (あるいは、理由) なのか を ぼんやりと怪訝に想っている、ということを言いたいのです。尤も、そんなことを考えること自体が action とは正反対の座標に私が立っていることになるかもしれないのですが (笑)。
人生において、私は他の道を歩む──すなわち、他の選択・判断をする──ことができたかもしれないという仮定は、たいがい、私の今の状態が悪いときの悔恨として生じる推測であることが多い。とりわけ、職業・家庭に関する判断が大きな判断でしょうが、私の場合には、職業に関する選択が今以て熟考の末の判断だったと言えなかったように感じています。私は どうして システム・エンジニア の道を選んだのかを自問しても はっきりとした理由が見つからない。たぶんに 「偶然な」 出来事が重なって、システム・エンジニア になったと云っていいかもしれない──なぜなら、私は、システム・エンジニア になりたいという意志を全然もっていなかったから。しかも、20歳代で プログラマ を 3年ほどやったあとで、私は、プログラマ の生活が嫌で嫌で──「女工哀史」 さながらの生活状態だったので──、コンピュータ 業界を いったん離れています。そして、2年ほど無職で過ごして、ガードマン (或る大使館の守衛) を半年ほどやって、ふたたび、コンピュータ 業界にもどってきました。
コンピュータ 業界にもどったと謂っても、ほんとうは (技術 マニュアル の) 翻訳家として入社したのですが、会社は私の以前の職歴を考慮して、私は、ふたたび、プログラマ として配属されたという次第です。そして、ふたたび プログラマ になった私は、入社後 2年のあいだに、辞表を 6回ほど書いて、そのたびに説得されて退社しなかったのが真相です──私には貯蓄がなかったので、まいつきの生活費を稼がなければならなかったから。その後、偶然にも、RDB を日本に導入・普及する仕事に就いてから、私は、プログラマ のときほどの嫌気を感じなかった。では、その仕事に満足していたのかと自問すれば、どうも そうではなかったように思います。なぜなら、当時、私には文学に対する思いが燻 (くすぶ) っていて、文学以外のことを 「俗な」 こととして軽視していたので──このことについては、以前、綴ったことがあるので、ここでは綴らないことにします。
1980年代前半に従事した・RDB を日本に導入・普及する仕事が起点になって、その延長線上に、私は今の仕事 (モデル 作り) に就いています。その 20数年に及ぶ仕事のなかで、私は、いったい、どれくらいのことをできたのかと自問して、Alfred Lord Tennyson の ことば を借りれば、so much to do, so little done というのが実感です。頭のなかでは、あれもやらなければならない、これもやらなければならないと多くのこと (so much to do) が浮かぶのですが、実際に やってきたことは少ない (so little done)。そういう状態になった理由は、私の実力がなかったことも確かですが、いっぽうで、ひとつのことを実現するには思いの外に事前・事後の多量な時を費やさなければならないという 「現実の法則」 があるからです。
たとえば、生産管理 (MRP) では、製造 リードタイム という概念がありますが、製造 リードタイム は、加工時間そのものではなくて、待ち時間・移動時間・段取り時間・加工時間などで構成されています──言い替えれば、加工時間が そのまま製造 リードタイム にはならないということ、製造するためには待ち (queuing) や段取り (before-action) や後始末 (post/after-action) があるということ。それにもかかわらず、われわれは、頭のなかで やりたいことを考えている段では、正味の加工時間しか考えていないようです。だから、やりたいこと を枚挙するときに、正味の加工時間しか考えていないから、あれもこれもできると錯覚してしまう。しかし、やったこと あるいは やりたいこと の前後には、それらを整えるための事前行為 (段取り、たとえば モデル 作りであれば基礎理論の学習など)・事後行為 (後始末、たとえば モデル 作りであれば験証など) が生じます。しかし、やりたいことに関する事前行為・事後行為の区域が曖昧なので──閉区域として認識しにくいので──、それらを考慮外にして 実現したことを数えれば、so little done というふうに感じるのでしょうね。逆に言えば、われわれは、たとえば 40年のあいだで──20歳代なかばから 60歳代なかばまでのあいだで──、じぶんが実現できると想像していることが多くても、実際にできることは数少ない。
私の場合には、30歳代では RDB・DD を日本に導入普及する仕事に専念して、40歳代で 「T字形 ER法」 を作って、50歳代で、(T字形 ER法を改良して) 「TM」 を作った、というふうに せいぜい 3つくらいの仕事しかしていない。勿論、そのあいだに、事業解析・データ 設計の コンサルテーション を数多くやってきましたが、それらの仕事は すべて前述した 3つの仕事に付帯する仕事でした。モデル (T字形 ER法、その改良版の TM) を制作するためには、数多い現場の事例 (験証) が不可欠だったし、基礎理論 (数学、哲学) の学習も長い年月を費やす事前行為でした。そして、今までに、たった 3つしか仕事をしていない (so little done)──それを自覚したときに私は愕然としました。そして、朝、寝床からでてきて シャワー を浴びるとき、鏡に写った私の顔は年々確実に老いている。
It is in your act that you exist, not your body.
Your act is yourself, and there is no other you.
(Saint-Exupery, Flight to Arras )
この英文を読んで、みずからを奮い立たせて (慰めて ?) います。
(2011年 1月16日)