Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション age には 73 篇の引用文が記載されていますが、以下の文が私を惹きました。
I think your whole life shows in your face
and you should be proud of that
Lauren Bacall (1924- ) US-born British politician.
Attrib.
A man is as old as he's feeling,
A woman as old as she looks.
Mortimer Collins (1827-76) British writer.
The Unknown Quantity
At 50, everyone has the face he deserves.
George Orwell (Eric Blair 1903-50) British novelist.
Last works in his manuscript notebook, 17 Apr 1949
Life begins at forty.
Sophie Tucker (Sophia Abuza 1884-1966) Russian-born
US singer.
Attrib.
Be wise with speed,
A fool at forty is a fool indeed.
Edward Young (1683-1765) British poet.
Love of Fame, U
「顔」 に関する文を 2つも選んでいたという点は、興味深いなあと じぶんでも思っています。そういえば、私は、他人 (ひと) を判断するときに、相手の顔 (と眼) を観るようです。さて、私は、朝 寝床からでてきて シャワー を浴びるとき、鏡に写った じぶんの顔を見て、「ぬめりとした顔だなあ」 と 我ながら嫌悪感を覚えます。57歳にもなれば、いままで歩いてきた人生のなかで数々の体験をしてきて、体験の痕跡が顔に刻まれているはずなのに、私の顔は、ぬめりとしている、、、書物を読みすぎたひとに通有な疲労感が燻っている。無精髭を剃るときに、その顔を ジッ と見つめてみる──「こういう顔を造った人生か」、そう独言を洩らす。you should be proud of that などと言われても、私には辛い。鏡が 間の抜けた顔を反射しているので、顔をそむけたくなるのだけれど、無精髭を剃らない訳にはいかないので、間の抜けた顔と向きあって、髭を手早に落とす。
平均寿命が延びて、現代人は、50年前くらいの日本人に比べて、肉体的にも精神的にも熟成がおそくなっているのではないかしら。たとえば、57歳の現代人は、昔の 47歳くらいに対応するのかもしれないですね。それでも、昔であれ──たとえば、30年くらい前──、今であれ、40歳くらいが知力において ひとつの篩 (ふるい) になっている点は変わっていないのではないかしら。
ここで云う知力というのは、ふだんの仕事をおこなう才識を云っているのではなくて、従来の考えかたを一歩進める説を生む力量です。私には、そういう力量はなかったので、私が今まで直接目にしてきた力量ある人たちを思い浮かべて述べているのですが、かれらの ほとんどが 40歳を超えた頃から、今まで見せていた ちから が急に落ちました──勿論、そうでない人たちもいましたが、多くの人たちは、今までの卓抜した仕事を超えるような仕事をしなくなった [ できなくなった? ]。まるで脳味噌が筋肉質になったように力量が急に落ちて、今までの仕事を再編集する [ 再体系化する ] とか、今までの仕事のなかから コピペ [ コピー&ペースト ] で ミーハー 本を執筆するようなった人たちを私は多く観てきました。
幸いか不幸か、私には、新説を打ちだすほどの力量がなかったので、30歳代・40歳代で ちから を使い果たすことがなかった。30歳代で、英語と データベース 技術を学んで、40歳代で数学・哲学を学んで──こういう難しい学問は、本来、頭のやわらかい 30歳代で修めておくべきだったのでしょうが、データベース 技術の延長線上で数学の山脈が見えたので登らなければならなかった次第ですが──「T字形 ER法」 を作って、50歳代で TM (T字形 ER法の改良版) を整えました。今振り返ってみて、40歳代で数学 (数学基礎論) を学習したのは我ながら天晴 (あっぱ) れだったと思っています──ただ、数学基礎論を学習したといっても、基本知識を学習したのであって、専門家の レベル じゃない。モデル を作るために数学を学習したのであって、数学を専門に学習した訳じゃない──私が数学基礎論を学習したときの サブノート を 「論考」 「いざない」 として出版しました。
そして、私は、いま、英語を再学習しています。私は システム・エンジニア を職としていますが、今振り返ってみると、40歳代・50歳代は、「言語」──それが自然言語 (英語) であれ、形式言語 (数学)であれ──の周りを彷徨 (うろつ) いていたようですね。そして、Life begins at forty ──新説を打ちだすほどの力量がなかった私は、40歳をすぎて やっと、言語を学習しはじめた。才人が着地する時点で、私は やっと離陸できた──鈍間 (のろま) にも それなりの人生はあると思っています。you should be proud of that と思うべきか、、、。
(2011年 2月23日)