Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション betrayal のなかで、以下の文が私を惹きました。
And forthwith he came to Jesus, and said,
Hail, master; and kissed him.
And Jesus said unto him, Friend, wherefore art
thou come? Then came they, and laid hands
on Jesus, and took him.
Bible: Matthew
26:49-50.
引用文は読みにくいかもしれないので、口語訳を以下に記載しておきます。
Judas went straight to Jesus and said, "Peace be with you,
Teacher," and kissed him.
Jesus answered, "Be quick about it, friend!"
Then they came up, arrested Jesus, and held him tight.
Good News
The New Testament in Today's English version ed. 2
歴史上 有名な betrayal のひとつです。ユダ は、「あれが キリスト です」 と指さして終 (しま) いにしてよかったにもかかわらず、「接吻」 という手段をとった、この接吻が後世に強烈な印象と憎悪を遺した。そういえば、映画 「ゴッドファーザ」 の中にも似た場面がありました──その場面は、聖書と逆で、ファミリー への betrayal に対して、うらぎった相手に接吻をして、「貴様を殺す」 という報復を伝えていました。
キリスト は すでに見て取っていました。そして、それを促しました──"Be quick about it, friend!" 日本語訳 (日本聖書教会、新共同訳) は 「友よ、しようとしていることをするがよい」、名訳ですね。
私は、仕事上、betrayal を いくつか体験していますが、いまさら、それらについて云々するつもりはないし、そもそも、私には、それらを事前に見て取っていました。では、私は、それらを事前に感知していながら、どうして対抗措置をとらなかったのか。理由の一つは、私の生活そのものを毀すほどの betrayal ではなかったということと、もう一つは、「(相手は) つまらないことをやっているなあ」 と感じて相手を観ていたということ。人性の醜貌に対して憂いを更々感じなかった──人性の悲哀を感じて、謀 (はかりごと) をしている相手の シナリオ 通りに演じてやったという訳でもない。奇妙な言いかたになりますが、betrayal を凝視しながら無感覚 (無関心?) であった、「やるなら、どうぞ」 という気持ちでした。報復する気持ちも更々ない。「そんな事に煩わされたくない」 というのが正直な気持ちかもしれない。私は absented mind であるが故に迂闊だという訳じゃない。
ただ、思い違いしていただきたくないのは、私は キリスト ほどに寛大ではない。betrayal に対しては、それ以後、相手を赦すことを私は毛頭しない。「そんなことで私の精神に波風を立てないでくれ」 というのが本音でしょうね──「私は自分の精神を凝視することで手一杯なのだ」 と。
(2011年 6月23日)