Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション change のなかで、以下の文が私を惹きました。
Variety's the very spice of life
That gives it all its flavour.
William Cowper (1731-1800) British poet.
The Task
Everything flows and nothing stays.
Heraclitus (c. 535-c. 475 BC) Greek philosopher.
Cratylus (Plato), 402a
「変化」 に対する意識は、若い頃の私と還暦に近い私との間では、とても変化したと感じています。若い頃の私は、「変化」 を強く希 (ね) っていました──「社会の体制」 が綺麗 サッパリ とやり直すことのできるまで崩壊すればいい、と思ったこともありました。言い替えれば、「過去」 を背負うことなどは考えてもいなかった──「今ここで (here and now)」 すなわち自分の体感できる この時点の現実がすべてであって、その一時点ごとの変化 (「進行」) がすべてである、と。これを若い気負いとして嗤うことは、今の私にはできないけれど、今の私は、「過去の堆積」 が自分であるとしか感じられない。
「その一時点ごとの変化がすべてである」 という考えを私が嗤うことができない理由は、その思想を、たぶん、宗教家が到達する境地であるかもしれない、と思うので──したがって、それを血気に逸る・頭が「概念」で一杯になっている青年の半可通にすぎないと嗤い去ることはできない。
私の Twitter で綴りましたが、今日に至るまで事業の 「あるべき」 全構造を記した参照モデルなど存しない。というのは、事業は環境に対する反応 (環境適応力) である以上、事業は環境 (外的変数) を考慮外にして考えることはできないので。しかし、「構造」 そのものを明らかにしようという思いに囚われてしまうと、まるで、事業が 「自律した固有の」 構造を持っているように思い違いしてしまう。私は、いかなる参照モデルでも、外的変数を度外視していれば信用しない。
経営学では、1960年代から 1970年代に、「戦略」 が研究対象として注目され始めました。「戦略」 は、それまで論じられてきた 「(企業内で立案する) 長期経営計画」 の延長線上に現れたのではなくて、べつの テーマ であった 「意思決定論」 のなかで、「環境に対する適用」 として考えられて 「戦略論」 が新たな・重立った研究対象になったそうです。
それぞれの企業は それぞれの 「歴史」 を持っている。「それぞれ」 と綴ったように、同じ構造は一つとして存しない──少なくとも、私が モデル 作りに関与した二百近い数の事業では、そうでした。事業構造を環境変化に対応するように調整し続けてゆく事が going concern ということでしょうね。
ギットン 氏 (哲学者) は、次の警句を遺しています。
思考には骨組みとなるような体系が必要であるが、しかし人間が
存在の体系と等しくなることは、おそらく不可能であって、真の救い
は体系よりも方法を選ぶことであろう。
方法から体系へ、道程から真理への微妙な変貌は、きわめて悪質な
誘惑であると思う。
引用文で綴られている事は、凡そ なにがしかの 「体系」 を拵 (こしら) える際の警告でしょう。文中の 「人間」 を 「事業」 に置き換えても文意は変わらないでしょうね。
(2011年 9月16日)