Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション civilization のなかで、以下の文が私を惹きました。
As civilization advances, poetry almost
necessarily declines.
Lord Macaulay (1800-59) British historian.
Literary Essays Contributed to the 'Edinburgh Review', 'Milton'
私は、Lord Macaulay 氏の エッセー を読んでいないので、引用した文が如何なる文脈のなかで綴られているのか知らない、したがって、この引用文の 「(本来の) 意味」 を把握できていない。ここでは、本来の文脈を離れて、この引用文を一つの独立した アフォリズム として、私が惹かれた理由を探ってみます。
「文明が発達すれば、詩情は必然的に衰退する」。作家は「個性」を重視するので、つねに 「社会と個人」 との相剋を主題 (テーマ) の一つにしてきましたが、たいがい、文明の発達に対して対蹠 (たいせき) 的態度をとっているようです──少なくとも、私が愛読してきた小林秀雄氏・亀井勝一郎氏・三島由紀夫氏は そうでした。彼らを愛読してきた私も そうです。ただ、私は エンジニア を職にしているので、文明の発達に寄与する テクノロジー を使う境遇に身を置いています。だから、まるで磁石の両極のように反撥しあう ちから が私の精神のなかで ぶつかっていて、辛い。
civilization を cizilized な態として考えれば、pleasant through the effect of good manners and good taste の意味ですが、これも作家には気に入らないでしょう──私も嫌悪する (笑)。尤も、civilized な人たちから見れば、私 (あるいは、作家たち) は野卑 (不作法) な 「(社会からの) はみ出し」 分子になるでしょう。「艶道通鑑」 に曰く、「藝を世上に売物(うるもの)は、かやうの無礼はある習(なら)ひ。何か苦(くる)しふ候べき。一指(ひとさ)し舞(まは)せ御覧じて、御返(かへ)しあれがし」。「文学青年」 たるもの、社会を睥睨するのであれば、逆に社会から侮蔑されているという覚悟は持っているでしょう。
さて、その 「文学青年」、Skype を愛用し、Skype を Facebook へ接続して、さらに Facebook と Twitter を接続して、Twitter で (情報科学の) 「モデル 論」 を、まいにち、つぶやいている。これらの ツール は、案外、自分を拡充するには役立つかもしれない──少なくとも私にとっては有用な ツール です、自分を凝視する (あるいは、自分というものを描く) には打ってつけの ツール です。私が書きたいのは、自分という個性であって、文学作品ではない。「文体」 を持っていたい、たとえ テクノロジー の時代にも。表現において 「文体」 が顕れることは、「現実」 を如何に記述するかの思考の現れであって、「文体」 を表すことが如何に辛くても、自分を bot にしないためには、「文体」 を持つしか社会に対して抗う術 (すべ) はないでしょうね。「文体」 とは、その人そのものでしょう。
(2011年10月16日)