▲ このウインドウを閉じる |
Only connect! (E.M. Forster) |
Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション communication のなかで、以下の文が私を惹きました。
Unless one is a genius, it is best to aim at
Anthony Hope (Sir Anthony Hope Hawkins: 1863-1933)
You use unless to introduce the only circumstances in which an Unless one is a genius を 「天才でないのだから」 と私が訳した理由も納得できるでしょう。 さて、「天才でないのだから、わかりやすいように説明することを心掛けるが良い」 という意味の逆は、天才の言っていることはわかりにくいということですね。すなわち、天才なら、そうであっても許されるということ。しかし、天才は極めて少数しか存しないので、我々が天才である確率は限りなく ゼロ 近い──「天才」 という語が やたらに使われて、天才の価値が下落していますが、それでも、歴史に名を遺すような才を以て 「天才」 というのがふさわしいでしょう。したがって、我々は intelligible であることを心掛けなければならない。 私は、「名言集」 を読むのが好きです。「名言集」 には天才たちの言が多く記載されています。そして、彼らの言っていることは 「平凡な」 ことです。しかも、「わかりやすい」 文です。彼らの言が 「平凡」 で 「わかりやすい」 というふうに私が言っても私が天才だということじゃないのであって──「名言集」 を一度でも読んだ人たちなら、天才たちの言に関して私と同じように、「平凡」 で 「わかりやすい」 という感想を抱いているでしょう──、かれらの述べている一言は我々凡人でも わかることだという意味です。かれらの言っていることが難しいというのは、きっと、論文などのように一つの体系として完結した証明に存するのだと思います。すなわち、かれらが示した 「新しい見かた」 「証明法」 が我々の頭には たやすく入らないということでしょう。小林秀雄氏は 「天才」 について次の文を綴っています (「マルクス の悟達」)
天才というものも、この世に生まれている限り、凡人と同じ構造 私は ウィトゲンシュタイン の言を真似することができる──たとえば、「はじまりを見出すことは むずかしい。否、はじめにおいて はじめることが。そして、そこから遡ろうとしないことが」 と。その言を口真似しても、私は天才じゃない。ウィトゲンシュタイン の著作を読んだことのない人が、私の披露した口真似を聞いて私を天才だと思ったとしたら、その人の知識が足らないだけのこと。ウィトゲンシュタイン の著作を読んだ人なら、口真似を聞いて私を嘲笑するでしょう。 「何を (what)」 語っているかが難しいんじゃない、「如何に (how)」 に語るかが難しい──それが、科学では 「証明式の構成」 と 「証明の視点」 でしょうし、文学では 「物語の構成」 と 「文体」 でしょう。なぜなら、我々が記述の対象とする現実的事態は、在るがままの態であって、天才も我々も同じ事態を観ているのだから。われわれ凡人たちの コミュニケーション で、「何を言っているのか わからない、もっと わかりやすく言ってください」 という文句 (苦情) を起こす原因は、「構成法」 (how) が曖昧なので、「概念」 (what) が不明確になってしまった事に起因するのではないかしら。それが intelligible じゃない、ということでしょうね。いっぽう、天才は、「構成法」 が パーフェクト なのだけれど、われわれ凡人が天才の 「構成法」 を追跡できない、ということでしょう──追跡できない理由は、たとえば、社会的習慣が生んだ先入観に囚われているとか。天才たちの中でも、殊の外、ウィトゲンシュタイン は難解です。というのは、かれは (「哲学探究」 では) 「構成」 を示さなかったので。 |
▼ このウインドウを閉じる |