Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション conceit のなかで、以下の文が私を惹きました。
It was prettily devised of Aesop, 'The fly sat
upon the axletree of the chariot-wheel and
said, what a dust do I raise.'
Francis Bacon (1561-1626) English philosopher.
Essays, 'Of Vain-Glory'
Vanity plays lurid tricks with our memory.
Joseph Conrad (Teodor Josef Konrad Korzeniowski;
1857-1924) Polish-born British novelist.
Lord Jim
All my shows are great. Some of them are
bad. But they are all great.
Lew Grade (Lewis Winogradsky; 1906- ) British film
and TV producer.
The Observer, 'Sayings of the Week', 14 Sept 1975
Besides Shakespeare and me, who do you
think there is?
Gertrude Stein (1874-1946) US writer.
Speaking to a friend she considered knew little about literature
Charmed Circle (J. Mellow)
No, no, Oscar, you forget. When you and I
are together we never talk about anything
except me.
James Whistler (1834-1903) US painter.
Cable replying to Oscar Wilde's message: 'When you and I
are together we never talk about anything except ourselves'
The Gentle Art of Making Enemies
Conceit とは self-love の強い状態なのでしょうね。そして、self-love を持っていない人などいないでしょう。いっぽうで、新聞で広告している 「自己啓発」 の ミーハー 本などは、広告文を読む限りでは、self-love を持つように説いています。そういう ミーハー 本が数多く出版されているということを鑑みれば、案外、self-love を自信の中核に据えるのが難しいのかもしれない──でも、自信は、じぶんの仕事・生活の中で養うしかないのであって、店で買うことのできる代物じゃないことくらいわかるでしょうに [ 手の中の菓を人に与ふる如くに非ず (色道小鏡)]。自信も ずいぶんと安っぽくなったものですね。
自信と自惚れは紙一重と云われるけれど、それらの境界を誰も直示できないでしょう。私は 「高慢さが芸になっていない」 というふうに ウェブ で非難されているそうなので、私は たぶん 自惚れの強いほうなのかもしれない。
私は、セミナー・講演の講師を今に至るまで 28年間ほど務めて来たので、多数の人前でしゃべるという行為は、(酒を呑んで酔っぱらっていないのならば、) よほどの自任を感じていなければ やれるような仕事じゃない。ちなみに、私は セミナー・講演の後で強烈な虚無感を覚えるので、さほど自惚れているとは思っていない。公衆の前で じぶんを晒すという醜態を恥じないほどの鉄面皮な性質を私は持ちあわせていない。しかも、その 28年間を 私は ほとんど 非難ばかりを浴びて来ました──若い頃 (30歳代の頃) には 「若造」 と罵られ、さすがに 50歳後半になれば 「若造」 とは云われなくなりましたが 「異端児」 というふうに レッテル が替えられて非難され続けて来ました。そういう非難を多く浴びながら 28年間も立ち続けて自説を述べていれば、そうとうに図太くもなるでしょう。否、図太いから立っていられたのでしょうね。しかし、その図太さは、長年の acting (講師を演じること) が固い甲羅になったにすぎない──というのは、私は、今でも、セミナー・講演の壇上に立つ前に足が震える、28年間も講師を務めてきたにもかかわらず (!)。
そういう私の眼から観れば、自信は自惚れの整形に思われます──自惚れが調えられた状態が自信であって、自信が助長した状態が自惚れじゃないと思います。というのは 自信とは他人 (ひと) から賞められようが貶されようが ビク ともしない自足した状態であって助長するはずがないので。他人から賞められたら気を強くして、貶されたら落ち込むというのでは、自信じゃない。しかし、歪な自惚れが他人との交渉の中で削られて円やかに調えられて珠玉となった self-love の状態が自信になるのかもしれない。
自分は自信を持っていると言っても、すぐれた技術を持った人たちが多数存するし、そういうすぐれた人たちと面談した時に少しも inferiority を感じない人など ほとんど存しないではないかしら。そして、その時に、自分に言いきかせるようにして 「私は他人に負けない技術 (あるいは、才識) を持っている」 と考えたら、それはもう自惚れ (あるいは、inferiority の ウラ 返し) ではないかしら。
対比意識はかならず、なんらかの自惚れ (あるいは、inferiority) を産むでしょう。しかし、自惚れ (あるいは、強い self-love) の草が茂らない土地には、そもそも、自信の花は咲かないでしょうね。そうであれば、他人 (ひと) から 「自信を持て」 と鼓吹されなくても、ほとんどすべての人たちは、自信を育てる土壌を持っているでしょう (笑)。ちなみに、Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations の セクション conceit には、27編もの引用文が記載されていたので──他の セクション に記載されている引用文の数に較べて多いので──、conceit は、われわれの性質の中でも特に目立って気になる [ 不快だけれど不可避な ] 特性なのでしょうね。
第一級の人物は──天才たちの書物を読んで私が想像するには──じぶんの仕事に信頼を置いていても自信を持っていないのではないかしら、かれらは、じぶんの ちから に つねに絶望を感じながらも、それに堪えて (精神の) 嵐の中を徒行し続けたのではないかしら。小林秀雄氏曰く、
才能がある御陰で仕事が楽なのは凡才に限るのである。
(「モオツァルト」)
自惚れは、天才には無縁であっても、われわれ凡才の特性なのでしょうね。
(2011年12月23日)