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This world is very odd we see, We do not comprehend it; (Arthur Hugh Clough)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション confusion のなかで、以下の文が私を惹きました。

    I had nothing to offer anybody except my
    own confusion.

    Jack Kerouac (1922-69) US novelist.
    On the Road, Pt. U

 
    I don't want you to think I'm not incoherent.

    Harold W. Ross (1892-1951) US journalist.
    The Years with Ross (James Thurber)

 
 Confusion の類語は、disorder, chaos, disarry などで、それらに共通した意味は、the state or a condition in which things are not in their right places or arranged in their right relations to each other, or an instance of such a state or condition (Merriam Webster's Dictionary of Synonyms) とのこと。そして、confusion の ニュアンス は、such mixing or mingling as obliterates clear demarcation or distinction (同書) とのこと。そうだとすれば、一番目の引用文の意味は、「ひとつの事実的全体の中から じぶんの興味を惹く対象を (快刀乱麻を断つように) 切り取って彫塑できないので、私が相手に伝えることができるものは私が対象を なんとか把握しようと苦しんでいるままの錯綜とした状態である」 というふうに読めますね。そういう意味であれば、私は Kerouac 氏の謂っていることを実感できる。「事実を 『あるがままに』 報道する」 とか 「事実の 『構造』 を探る」 という仕事をしている人たちなら、Kerouac 氏の言を実感できるでしょう──テレビ 番組が jounalese として使っている 「その実態に迫る」 などというような白々しい・惚けた cliche (常套句) とは似ても似つかない、真摯に探究する意志を貫いているうえで、my confusion と吐露しなければならない 「現実的事態の豊富さに接して足掻いている状態」 を暗示しているといっていいでしょう。

 二番目の引用文では、否定形が三度も使われていて、書き手が感じている 「もどかしさ」 が伝わってくる文ですね──書き手は、三重否定を使って、そういう 「もどかしさ」 を伝えようとしている。Coherent の意味は、clear and logical in thought or speech なので、二番目の文の意味は、一番目の引用文の意味と同値であると判断していいでしょう──「私が一貫した考えかたを持って物事を観ているとは思わないでいただきたい」 と。

 ふたつの引用文が伝えている意味は、文面とは逆に 「私は、naive (simple in thought) じゃない」 ということでしょう。いずれの引用文も、対象に真っ直ぐと向う気組みが伝わってくる文ですね。あらかじめ [ すでに ] 持っている見かたを通して事態を鋳造して断言するのは、歯切れはいいかもしれないけれど naive にすぎない。しかし、われわれは、この外見的果断性に騙されやすい。迷いの中にあって迷いを落ち着いて観ることこそ、意志の強さではないかしら。

 
 (2012年 1月16日)

 

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