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Everything can be borne except contempt. (Voltaire)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション contempt のなかで、以下の文が私を惹きました。

    She was nothing more than a mere good-
    tempered, civil and obliging young woman; as
    such we could scarcely dislike her -- she was
    only an Object of Contempt.

    Jane Austen (1775-1817) British novelist.
    Love and Friendship    

 
    He looked at me as if I was a side dish he
    hadn't ordered.

    Ring Lardner (1885-1933) American humorist.
    Referring to W.H. Taft, US president (1909-13)
    The Home Book of Humorous Quotations (A.K. Adams)    

 
 Contempt の意味は、complete lack of respect, scorn, despise (= to have a scornful dislike for) のこと、日本語訳は 「軽蔑、侮蔑」。

 一番目の引用文は、「人畜無害」 というふうに読んでいいでしょう──すなわち、居 (お) っても居らなくてもいい、と。 私の周りにいる女性たちの中で そういう性質の女性が居ないので──そもそも、そういう女性って居るのかしら? ──、具体的な像を思い浮かべることができない。ただし、mere という語を外して、a good-tempered, civil and obliging という外観を人間関係の中で演じている (acting な) 人たちなら、ほとんどの人たちがそうではないかしら。私は個性が強いと称されながらも、私なりに a good-tempered, civil and obliging な外見を調えているつもりです。

 すぐれた才知を持っていながら、他人 (ひと) との距離感を掴めないので、a good-tempered, civil and obliging を演じて、才知を抑えている女性は (勿論、女性に限らないで、男性でも)、私の頭の中で数名思い浮かぶ。そういう人たちを観ていると、私の若い頃の風采と重なるので、私の当時の心中 (しんちゅう) を反省してみて 「そんなに他人の眼など気にしないほうがいい」 と口出したくなります、「他人は [ 恋人でないのであれば ]、あなたが想像しているほどには あなたのことを気にはしていない、他人の眼を気にしないで、自分の ちから を もっと出しなさい」 と。

 私は 「文学青年」 だったので学生の頃に多量の文学書を読んでいて、それらの書物を通して社会 (人生) を知ったつもりになっていて、就職した時には書物から獲た観念で社会を眺めて 「低俗な」 社会を睥睨していながらも、「実際の」 人間関係の中で距離感が掴めなくて戸惑ったので、周りの人たちに右顧左眄しながら自分を抑えていました。他人にぶつかってみなければ自分というものがわからないにもかかわらず、他人から嫌われ無視されることを懼れて、「良い人」 と思われたかったので当たり障りのないように振る舞っていました。たぶん、悧巧な人ほど、そういう性向が強いのではないかしら、社会を見通しているつもりになって、それとぶつからないで批評する、というふうに。そういう惨めな自分を回想したくないので、私は、大学院を修了してから 30才までのあいだの生活を 「封印」 しています [ 本 ホームページ でも その時期の事を毛頭綴っていない ]。(親族・恋人・友人などのように懇意な仲でないのであれば、) 自分が他人のことを気にしていないように、他人も自分のことを気にしていないと覚るべきでしょうね。

 二番目の引用文について、私は他人 (ひと) から そういうふうに扱われたことがないし、他人を そういうふうに扱ったこともないので、実感が涌かないのですが、その逆の現象を私は ここ数年ほど体験して来ました──すなわち、私は 「先生様」 扱いされて神棚に鎮座させられて、エンジニアとしての権利を剥奪される事が多くなって来ました。その理由の一つは、私が年老いて来た事にあるのでしょう。私は還暦に近いのですが、仕事をするために長生きしたいけれど、(「先生様」 扱いされるのであれば、) 年をとりたくはないですね。実際、私は 40才代の頃に比べて今のほうが技術も思考も勝 (まさ) っている──40才代で 「T字形 ER法」 を作ったのですが、その モデル 技術を いっそう パワーアップ した TM を作ったのは 50才代ですし、モデル 技術を使って モデル を構成して (その モデル が写像した) 事業の実態を見通す ちから は今のほうが充実しています。「先生様」 扱いされるほどに私は老いぼれてはいない──しかし、自分の ちから が落ちたにもかかわらず、舞台に立つことを私は潔 (いさぎよ) しとしない。そうでなければ、それこそ He looked at me as if I was a side dish he hadn't ordered の態でしょう。

 
 (2012年 2月16日)

 

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