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Cynicism is humour in ill-health. (H. G. Wells)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション cynicism のなかで、以下の文が私を惹きました。

    One is not superior merely because one sees
    the world in an odious light

    Vicomte de Chateaubriand (1768-1848) French
    diplomat and writer.
    Attrib.

 
    Cynicism is an unpleasant way of saying the
    truth.

    Lillian Hellman (1905-84) US dramatist.
    The Little Foxes, T

 
    A man who knows the price of everything
    and the value of nothing.

    Oscar Wilde (1854-1900) Irish-born British dramatist.
    A cynic
    Lady Windermere's Fan, V

 
 私は、これらの引用文を一読では意味が把握できなかった──三番目の引用文は特に。Cynicism は、cynic から派生していることを私は知っていますし、cynic が 「皮肉屋、冷笑家」 という意味であることも知っているのですが、その程度の知識では これらの引用文の意味を把握するのは困難でしょうね。というのは、Cynic という ギリシア の哲学思想が源流となっているので、その思想を知らないと これらの引用文の真意を把握できないでしょう。Cynic について英英辞典 (The Oxford Compact English Dictionary) は次のように定義にしています。

    one of a school of ancient Greek philosophers founded by
    Antisthenes, marked by ostentatious contempt for ease and
    pleasure.

 私は ギリシア 哲学に疎いのですが、この定義を読む限りでは、「禁欲主義」 の一種と考えていいでしょうね。英英辞典では、語源として次のような説明を記載していました。

    from Greek kuon kunos 'dog', nickname for a Cynic

 そのために、日本語では (「キニク 学派」 という訳の他にも) 「犬儒学派」 とも訳されています。「岩波 哲学小辞典」 (粟田賢三・古在由重 編) の説明によれば、その思想は欲望を抑制して社会のしきたり (世論、習俗、道徳など) を蔑視して質素な自然の生活を営む事のようです [ その学派を提唱した人が アンティステネス Antishenes だそうです ]。アンティステネス の弟子であった (シノペ の) ディオゲネス が樽を住み家にして乞食に同然の生活をしていたという事を、私は高校生の頃に聞いた記憶が蘇って来ました。

 さて、以上の知識を参考資料にすれば、引用文の意味が把握できますね。

 一番目の引用文の意味は、「a cynic はすぐれているいう訳じゃない、世界をただ単に odious な視点で観ているだけだ」 という事。odious は hateful の意味です。すなわち、「a cynic は欲望を抑制して有徳の生活を唱道しているので立派な様に見えるが、ただ単に世間を憎悪しているにすぎない」 という意味でしょうね。あるいは、普通に言えば── a cynic の語る 「皮肉・嘲笑・風刺」 が まるで世事を達観しているような物言いであるのを揶揄して──、「a cynic は、世間を見透したかの様に偉そうに語っているが、単に世間を憎悪しているにすぎない」 と。

 二番目の引用文では、unpleasant は pleasant の否定語なので、pleasant の意味は 「highly acceptable to or delighting the mind or the senses」 で、その ニュアンス としては 「imputes a quality to the object to which it is applied」 であって、「不快で品位 (品質) の宜しからざる」 という意味。したがって、文意は 「cynicism は確かに真実を語ってはいるが、その説く道 (流儀) は快くうけいれられるものじゃない」──あるいは、普通に言えば、「cynicism は確かに真実を語っているが、その しゃべりかたが気に入らない」 という事でしょうね。

 三番目の引用文の意味は、ひょっとしたら、一番目・二番目とは反対に、cynic を擁護しているかもしれない──私は、Oscar Wilde 氏の この作品を読んでいないので、文脈の中で cynic に対して for (賛同) なのか against (反対) なのかを判断できないのですが、この引用文のみを読めば──knows the price of everything and the value of nothing と綴ってある通りに──、cynic に対して好評を与えているようですね。

 さて、これらの引用文を読んで私の頭の中に浮かんだ感想は、「私の性質が ひょっとしたら cynicism の性質だと (周りの人たちに) 思われているのではないか」 という疑問です。私は、禁欲的 (求道的) で世間を蔑視しているように思われているようですが──確かに、そういう気配を醸しているようで、「世捨て人」 と云われているようですが [ 息子 (長男) にもそう云われましたが (笑)]──、私は一事に集中したら他の事を眼中に置かないだけの事であって、禁欲的・有徳な生活を営もうと志した事など毛頭ない。雲水 [ 禅僧 ] の様に乞食 (こつじき) になる事を憧れてはいますが、乏しい才にもかかわらず、なんとしても足掻いて じぶんの思考の証し (モデル論) を制作して遺したいという執着を存分に持っています。

 私は cynicism を嫌っています。私が cynicism を嫌いな理由は、二番目の引用文が述べているように、an unpleasant way of saying the truth を嫌っているので。まして、世間とぶつかった事もない ヤツ が (世間を斜に観て) 「社会のしきたりなんて虚仮さ、自然でいるのが一番にいい」 などと いっぱし批評している態には──「文学青年」 が、たぶん、一度は患うであろう疾患だと思うのですが──反吐がでる。たぶん、私は、過去を振り返ってみれば、若い頃 (20才代) に cynicism の傾向が強かったと思います。当時の私が今の私の眼前に現れたら、今の私は、きっと、当時の私に対して 「生理的な」 嫌悪感を覚えて [ 虫酸が走って ]、さんざんに怒罵するでしょうね (笑)。
 しかし、今の私から 「皮肉屋」 の臭味が洗い浚 (ざら) い消えた訳でもないようです (苦笑)──私の Twitter (@satou_masami) の文を読めば それがわかる。でも、それは cynicism じゃない、sharp tongue (時に irony) の音調です。「喧嘩腰」 と云ったほうが正確かもしれない (笑)。私は皮肉をもてあそぶつもりなど更々ないのですが、一つの言説を吟味する時に、その否定形 (あるいは対偶) で思考する癖が 「皮肉屋」 の臭いを醸しているのでしょうね。

 

 
 (2012年 5月 8日)

 

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