Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション damnation のなかで、以下の文が私を惹きました。
You will be damned if you do -- And you will
be damned if you don't.
Lorenzo Dow (1777-1834) British churchman.
Speaking of Calvinism
Reflections on the Love of God
引用文は Calvinism について論じている中で使われた表現のようですが、Calvinism を語るには私の知識が乏しいので、本 エッセー では、英語の一般的な表現として論じてみます。
この表現は、英語表現の中で、私の好んで使う表現の一つです──その意味は 「やったらやったで非難されるし [ やっかいな事になるし ]、やらなきゃ やらないで非難される [ やっかいな事になる ] 」 と。「ジレンマ」 の英訳でしょうね。非難されるという結末は同じです。いずれにしても非難されるのであれば、実行したほうが途上で学ぶ事も数々あるので (座して無為で居る事に較べたら) マシ だという様な便宜を私は考えているのではなくて、無為であったがために非難される事 [ いわゆる 「無作為の罪」 ] は私には堪え難い。「(承知しているのなら、) 実践する」 というのが私の やりかた です。
世間に向かって作品 (あるいは、自説) を問うなら、自身 (の考え) を晒す覚悟を持っていなければならないし、自身を晒せば数々の非難の的になる事も覚悟していなければならない。非難 (批評) されるのが嫌なら、そもそも、舞台に立つべきじゃない。舞台に立ちたいと思う人物は、自己顕示欲の──その程度のちがいはあっても──強い性質でしょうね。そういう人物は 「無作為」 のまま温和しくしている事を堪え難いでしょう (笑)。外見が如何に温和しくても、作品を制作しようと思うほどの人物 (作家) なら、自己顕示欲の強い性質だと思って間違いない。そして、そういう人物にとって作品とは仮象でもなければ外的事物でもなく、一つの関係、すなわち自身から作品への写像そのものでしょう。自身と作品は一つの事であって二つの事じゃない、「自分を晒す」 とは、そういう事です。それゆえ、そういう人物は、自身を刻印できない事には興味を抱かない。そういう態度は独我的といえば余りに独我的だけれど──したがって、非難の恰好の的になるけれど──、独我的でなかった作家など、作家という性質を鑑みれば、存しないでしょう。
「お前の道を進め、他人には勝手な事を言わせておけ」(ダンテ)、一事を成した人は確かにそうだったけれど、愚かな人もそうだった (笑)──しかし、それが愚かな行為なのかどうかは、棺桶に納まるまでは誰にも [ 本人さえも ] わからないでしょうね。年齢が 40才を越えれば、一秒ごとに老いてゆく事を意識的に噛みしめたほうがいいと思う──私は、否が応でも、一日ごと 86,400回 徐々に朽ちている。そういう意識を持っていれば、my days are counted down を実感できるので、外野の ヤジ など気にしないで自身の思いに正直になるでしょう。Damned if I do, damned if I don't ──いずれにしても、自身の思いに正直な判断をすればいいのではないかしら。
(2012年 5月16日)