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There are defeats more triumphant than victories. (Montaigne)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション defeat のなかで、以下の文が私を惹きました。

    It is the beginning of the end.

    Talleyrand (Charles Maurice de Talleyrand-Pegigord;
    1754-1838) French politician.
    Referring to Napoleon's defeat at Borodino, 1813
    Attrib.

 
 「終わりの始め」 (the beginning of the end) という洒落た言いかたを偶 (たま) に目にする事があるのですが、その表現を初めて使ったのが誰かを私は識らない [ 調べた事がない ] ので、Talleyrand 氏が初めて使ったのか、それともすでにそういう言いかたを誰かが使っていて、Talleyrand 氏が ナポレオン の Borodino での敗戦について、ナポレオン のその後を予見するように使ったのかを私はわからない。

 或る事態が終決して、その結末から遡って一連の出来事を眺めた時に、the beginning of the end と呼べるような出来事を指す事はできるかもしれないけれど、目下の出来事が将来の結末の序曲になる事を予察するのは、もし論理的に推測できるとしても、(八卦に較べて マシ くらいの) 蓋然性を免れないでしょうね [ Who knows? ]。

 ほんの些細な出来事が実に苛酷な結末をもたらす事があります。思慮が足らなかったゆえの出来事だったと云うなら、それはそうなのですが、その後の人生をすっかりと変えてしまう事があります。それを我々は『運命』と称しているのかもしれない。実生活を彩るのは、そういう些細な事態なのかもしれない 。私は自身の生活を振り返ってみて、そういう些細な、しかしその後の人生を変えてしまう出来事を三つほど思い浮かびます。それらの三つのなかで、時系列のうえで眺めてみれば、最初の二つの出来事は defeat(s) と云っていい様な出来事でした。もう一つは、T字形 ER法 (TM の前身) を制作する旅に出た事です。最初の二つの出来事は、今振り返っても (いまだに) 悔恨を覚えます──当時は、そういう感覚を抱いていなかったし、私の後々の生活進路を変えるとも推測していなかった。それらの二つとも私の 30才以前に起こった出来事なので、「封印」 していて誰にも話した事がない。ただ、その時の体験から学んだ訓戒は、「自身の思い (初志) に正直である事 (言い替えれば、「(なんらかの事情を口実にして) 逃げない事」)」、そして 「自身の思いを正直に言うのはいいが、言いかた (および political な状態) にも念入りの配慮を払う事」 でした。

 Political は、「政治的」 というふうに訳されますが、intrinsic value (そのものの内在的な固有価値) の反対語だと考えたほうが わかりやすい。(*) 「文学青年」 は、intrinsic value に重きを置きたがるのですが──当時の私は、まさにそうで、外見など取るに足らぬと思い込んでいたのですが──、political party は self-interest (利益) を目指して組織された関係なので、そういう組織的関係の中では intrinsic value に価値を置く様な人物は浮いてしまうでしょう (out of place)。私は自身の事を時々 「阿房」 と云う事があるのですが、politic は wise とか shrewd の意味があるので──例えば、It is not politic to... (...することは悧巧ではない) という言いかたもできるので──、politic ではない事を自嘲しているのです。以来、私は political な状態を鋭く感知するようになりましたが、political party の中で political に立ち回るかどうかは、べつの判断でしょうね──私は、他に集中したい事があるので、political なやりとりを観て観ぬ振りをする事が多い。そういう意味では、いまだに アホ なのかもしれない。

 
(*) 「日英語表現辞典」 (最所 フミ、研究社出版)、124頁。

 
 (2012年 6月16日)

 

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