Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション departure のなかで、以下の文が私を惹きました。
And they are gone: aye, ages long ago
These lovers fled away into the storm.
John Keats (1795-1821) British poet.
The Eve of Saint Agnes, XLII
詩人の表現は、さすがに スゲー (見事ですね)。この文を読んだ時、私の頭の中では、絵画の様に情景が生々しく浮かびました。この文が置かれている文脈を私は識らないのですが、この文のみを読んだ限りで、私の頭の中には、恋人たちがなんらかの理由でいっしょになれないので、いっしょになるために家を出て (二度と帰らぬ決意で) 嵐の中に飛びだして、嵐に吹き飛ばされそうな外套を片手で押さえながらも、もういっぽうの手を互いの体に廻して離れないようにしっかりと抱きかかえて、身をやや屈めながら嵐に抗って懸命に 一歩一歩 足を運んでいる光景が浮かびました。そして、その光景に誘発されて私の頭の中で続いて浮かんだ作品は、「魔王 (エルケーニッヒ)」 (ゲーテ) と 「クララ の出家」 (有島武郎) でした。
「魔王」 の中で悪魔は次の様に囁いています(*1)。
かわいい子よ、さあ、このわしとおいで。おもしろい遊びをしよう。
あっちにはきれいな花もたくさん咲いている。わたしの母の所には
金の衣だってあるんだよ。
子は父に訴えます。
お父さん、お父さん、聞こえませんか、魔王がやさしい声でぼくに
囁くあの声を。
父が応 (こた) えて、
わが子よ、心配するではない。あれは枯れしぼんだ木の葉が風に
ざわめく音なのだ。
そして、子は竟 (つい) に死んでしまう。
シューベルト の歌曲 「魔王」 (作品一番、シューベルト 18才の時の作品) では、歌手は この物語の語り手、子ども、父親、悪魔の四役を歌い分けて、ピアノ が劇的な迫力で伴奏しています──私くらいの年齢か それよりも上の年齢 (50才代、60才代) の人たちであれば、この歌曲を中学校で音楽の時間に聴いた事があるでしょう。その時から 40数年の時が流れて初老になった今、 この歌曲を 「芸術的空想 (絵空事)」 [ 実生活と懸け離れた浪漫的物語 ] と思うかどうか。私の生活を振り返ってみれば、仕事の旅立ちの時に抱いていた夢は、実は 「枯れしぼんだ木の葉」 だったのかもしれないという悔恨 (惑い?) を私は幾分か感じない訳にはいかない。ちなみに、シューベルト の歌曲集 「冬の旅 (Winterreise)」 (作品 89番) は 「老音楽師 (Der Leiermann)」(*2) で閉じられています──うらぶれた乞食のような老音楽師が手回しの オルガン を辻で孤独に弾いている、夢見た旅 (departure) の成れの果てか、、、。絵空事として嗤えない生々しさを感じています。
(*1)
「クラシック 音楽鑑賞事典」 (神保m一郎、講談社学術文庫) から訳を引用しました。
(*2)
歌詞の意味を知りたいなら、フィッシャー・ディスカウ 氏の動画 (Youtube) をご覧下さい。
私は、(本文で リンク した) ハンス・ホッター 氏の歌唱のほうを好んでいます。
(2012年 7月 8日)