Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション despair のなかで、以下の文が私を惹きました。
And about nineth hour Jesus cried with a
loud voice, saying, Eli, Eli, lama sabachthani?
that is to say, My God, my God, why hast
thou forsaken me?
Bible: Matthew
27:46
Don't despair, not even over the fact that
you don't despair.
Franz Kafka (1883-1924) Czech novelist
Diary
The mass of men lead lives of quiet desperation.
Henry David Thoreau (1817-62) US writer.
Walden, 'Economy'
一番目の引用文は、人類史上で最大の「絶望の叫び」でしょうね──キリスト 自身は数々の奇蹟を為したのですが、キリスト のうえには奇蹟は起こらなかった。キリスト を十字架に掛けた人々は次のように蔑んで嗤った (Matthew 27-42, 27-43)。
He saved others, but he cannot save himself! Isn't he the king
of Israel? If he will come down off the cross now, we will
believe in him!
He trusts in God and claims to be God's son. Well, then, let
us see if God wants to save him now!
しかし、聖書は、以下のように応えています (John 12-24)。
I'm telling you the truth: a grain of wheat remains no more than
a single grain unless it is dropped into the ground and dies.
If it does die, then it produces many grains.
キリストは 「絶望」 の中で叫んで息絶えた。「政治」 のうえで キリスト は敗北したと云っていいでしょう。しかし、この敗北に依って キリスト は今に至るまで人々の魂の中に生き続けている──「一粒の麦、地に落ちて死なずば」 という文は、単なる修辞法ではない事が後世になって実証されました。私は キリスト 教徒ではないのですが、キリスト の最期 (さいご) のことばが頭に滲み込んでいます──「エリ、エリ、レマ、サバクタニ (Eli, Eli, lama sabachthani?)」。キリスト は、奇蹟を為した時でも、きっと、悩んでいたと私は想像します──エホバ への信仰が自分をいずれへ導いてゆくかわからないが、それでも自分はその信仰を説くしかない、と。一つの仕事に数十年も打ち込んで来た人なら、キリスト の様な天才でなくても、キリスト と同じ様な (仕事に対する) 信仰を感じているのではないかしら。proficient になればなるほど [ 上手になればなるほど ] 「自分」 が消えてゆくと言えば反語になるかしら。しかし、上手の極致を 「入神」 と云うではないか。
二番目・三番目の引用文は、「絶望」 の反語でしょう。本気で事に打ち込まなければ絶望しないでしょうし (二番目の引用文はそれを皮肉っている)、望む事をやれないまま生活している [ 生活せざるを得ない ] 状態は絶望を静かに耐えている状態である (三番目の引用文)、と。「絶望」 は、本気度を測る出来事なのかもしれない。
(2012年 7月23日)