Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション discovery のなかで、以下の文が私を惹きました。
Eureka!
I have found it!
Archimedes (c, 287-212 BC) Greek mathematician.
An exclamation of joy supposedly uttered as, stepping into a
bath and noticing the water overflowing, he saw the answer
to a problem and began the train of thought that led to his
principle of buoyancy.
Attrib.
I do not know what I may appear to the
world, but to myself I seem to have been
only like a boy playing on the sea-shore, and
diverting myself in now and then finding a
smoother pebble or a pretties shell than
ordinary, whilst the great ocean of truth lay
all undiscovered before me.
Isaac Newton (1642-1727) British scientist.
Isaac Newton (L. T. More)
The people -- could you patent the sun?
Jonas E. Salk (1914- ) US virologist.
On being asked who owned the patent on his polio vaccine
Famous Men of Science (S. Bolton)
Discovery consists of seeing what everybody
has seen and thinking what nobody has thought.
Albert Szent-Gyorgyi (1893-1986) Hungarian-born US biochemist.
On being asked who owned the patent on his polio vaccine
The Scientist Speculates (I. J. Good)
一番目の引用文は、私が中学校の頃に 「アルキメデス の原理」 (流体の浮力に関する法則) を習った時に 「逸話」 として聞いた様に記憶しています。アルキメデス の名を冠にした公理・法則・問題は幾つか遺っていて──「アルキメデス の渦巻線」 「アルキメデス の公理」 「アルキメデス の法則」 「アルキメデス の牧牛問題」 など──、それらの詳しい説明については数学の辞典を参照して下さい。アルキメデス は、法則を色々と発見した数学者 (物理学者?) だった様です。着想 (ソリューション) が風呂の中で出たという事ですが、当然ながら、日頃、それについて考え続けているから ちょっとした切っ掛けが導線となって ソリューション が雪崩の様に一気に走るのでしょう──そういう現象は、風呂桶 (頭脳) に入っていた水 (流動的な、まとまった知識) が身体 (刺戟) を入れたら溢れたという アナロジー には絶好でしょうね。禅僧も、公案を考え続けて、庭を掃除していた時に、掃いた小石が物にあたった音を聞いて大悟したという逸話を私は聴いた事があります。馬上では──すなわち、旅をしている最中に──着想が出やすいという ことわざ もあったように思う。仕事のなかで集中 (charge) していた思考が、仕事を離れた時に緊張が弛んで (discharge) 寧ろ迸るのでしょうね──喩えれば、ダム (堰堤) の貯水を放流した時に電気が生まれるのと似ているのかもしれない。勿論、貯水がないのは論外でしょう。乾涸らびた堰堤は発電することができないでしょうw。
二番目の引用文に関して、広中平祐氏 (数学者) が フィールズ 賞を受賞なさった後で テレビ 出演された時に──対談番組だったか CM だったかを私は忘れてしまったのですが──、ニュートン の この ことば を流用なさって次の様に語っていらしたのを私は覚えています──「真理というのは、海の中の真珠の様なもので、それを発見するのが学問な訳だ」 と。私は大学院生の頃に、広中氏の ことば を鸚鵡返しに あちこちで しゃべっていました (彼の語りかたまで真似ていました)。「数学者とは、発明家であって発見者ではない」 (ウィトゲンシュタイン)──数学上の定理・法則を 「発見」 と見做(みな)すか 「発明」 とするかは、私の様な数学の シロート にはどうこう言えないのですが [ 例えば、「複素数」 を考えてみて下さい ]、「真」 とか 「美」 というものは、私を惹きつける──私に限らず、学問・芸術に惹かれた人たちは皆そうでしょう。そういう人たちは、ニュートン の この ことば を共感できるでしょう。
三番目の引用文に対して、私は拍手します。「発見」 であろうが 「発明」 であろうが、それらに対して、現代社会では、「特許」 制度が導入されています。生涯を賭して発見・発明に挑んだ人たちの苦労の成果を窃取して あたかも自分が発見・発明した様に平然としている下衆 (げす) い奴等から権益を護るためにも特許制度を私は尊重しますが──私のくらいの程度の凡人でも、窃取された事件が かつて三件ほど起こりましたが──、特許が投機対象になる事には不快感を私は覚えます。iPS 細胞技術に関して、先月、中山京都大学教授が特許を幾つか取得なさいましたが、その理由は、他の誰かが特許を取得して治療技術が高価になる事を阻止するためだったとの事でした──見事な科学者魂ですね、私は、テレビ で その ニュース を視聴していて、テレビ に映っていた中山教授に向かって拍手を送りました。
四番目の引用文では、私は亀井勝一郎氏の次の文を思い出しました──
富士山ほどくりかえし描かれた山はない。あの三角形の
単純なかたちは、たちまち倦 (あ) きられて俗化してしまう。
そのとき、あらためて富士山の新しいすがたを発見するもの
こそ一流の画家だ。たとえば北斎のような富士の眺めは、
それ以前の誰も描かなかった。平凡にみえる自然のなかに、
千変万化の非凡なすがたを発見するのが芸術である。
この 「視点」 は、科学でも同じ様に言えるでしょうね。私くらいの程度の凡人には、新しい 「視点」 を導入する事は難しい。「赤本を読む」 (2012年10月 1日付けの補遺) でも綴りましたが、TM2.0 は その体系を次の様に変更します。
(1) 主題と条件
(2) 「関係」 の性質 (対称性と非対称性)
(3) 関係と関数 (全順序と半順序)
(4) 集合 (セット)
(5) 多値関数
(6) クラス
これらの技術は、すべて、(数学基礎論の) モデル 論の通論 (および、離散数学の通論) で述べられている技術を並べ替えただけです──ひとつも独創はない。だから、私の様な凡人でも、パスカル の次のことばが慰めになっています (「パンセ」)。
Let no one say that I have said nothing new;
the arrangement of the subject is new.
(2012年10月 1日)