Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション effort のなかで、以下の文が私を惹きました。
As is the case in all branches of art, success
depends in a very large measure upon
individual initiative and exertion, and cannot
be achieved except by dint of hard work.
Anna Pavlova (1881-1931) Russian ballet dancer.
Pavlova: A Biography (ed. A. H. Franks), 'Pages of My Life'
And here is the lesson I learned in the army.
If you want to do a thing badly, you have to
work at it as though you want to do it well.
Peter Ustinov (1921- ) British actor.
Dear Me,, Ch. 8
Please do not shoot the pianist. He is doing
his best.
Oscar Wilde (1854-1900) Irish-born British dramatist.
Impressions of America, 'Leadville' T
「労せずして価値ある物を獲得する事はできない」 という事くらい誰だってわかっているでしょう。その価値ある物も、それを作った人の労働の成果なので、それを手に入れるには、それ相応の労を払う事になる筈です。本 ホームページ の 「思想の花びら」 の中で、私は、かつて、シェークスピア の ことば を引用しました (「マクベス」)──
魚は食いたい、足は濡らしたくないの猫そっくり、
「やってのけるぞ」の口の下から「やっぱりだめだ」の
腰くだけ、そうして一生をだらだらとお過ごしなさる
おつもり?
やらなければならない事が はっきりしているなら、覚悟するしかない。
私は、システム・エンジニア を職としているので、当然ながら その仕事で もとめられている技術を研鑽しなければならないのですが、自分の思うままに任せていると、文学のほうに惹かれて、私の読書は文学に偏ってしまう。今思えば、1998年から 2000年のあいだに、私は数学を一向 (ひたすら) 学習していました──「黒本」 を脱稿して、「論考」 を執筆しはじめた頃の話です。私は数学が大の苦手で──高校の頃、数学の試験では、100点満点中 6点という悲惨な点数を記録した事もある (苦笑)──、文系を選んだのですが、大学院を修了して、いったん無職状態になって、それでも就職を真面目に考える事もしないで、日々の無為な生活に流されるままに流されて来て、「コンサルタント になるための前提として」 プログラマ になって──就職の面接の時に、そう言われたのです (!)──(プログラマ の延長線上で) システム・エンジニア という職に就いた次第です。システム・エンジニア という職を熟考して選んだ訳じゃない。30才くらいまでは、仕事が厭で厭で堪らなかったけれど、私には 「律儀な」 [ 与えられた仕事では手抜きをしない ] 性質が強いのか、厭な仕事を ちゃんと こなして来ました。好きで選んだ仕事じゃないので──小説家になりたかったのだけれど、そんな才のない事はわかっていたし、その他に就きたいと思った職も取り立ててなかったので──与えられた仕事を丁寧に確実に遣っ付けるしか自分を証明する手立てがなかった。
私の生活は 32才の頃に一変しました──コッド 関係 モデル との出会いが私の生活を変えた。当時、私は リレーショナル・データベース を日本に導入普及する仕事に就いたのですが、国内では先例がない技術だったので、米国に度々出張して技術を指導してもらいました (英語で仕事を覚えた次第です──以後、英語は私の思考に多大な影響を与えました)。そして、リレーショナル・データベース の根源となった コッド 関係 モデル を読まなければならなくなった。数学嫌いの私が、とうとう数学を真面目に学習しなければ、コッド 論文を読めない。更に、コッド 関係 モデル の 「意味論」 を補強するために、私は、数学基礎論と哲学を学習しなければならなかった。私が数学基礎論の学習に没頭した時期は、45才の頃でした──即ち、「黒本」 を出版した直後です。「黒本」 を脱稿した時点で、私は、論証の拙さを身にしみて感じていました。
1998年から 2000年のあいだに学習した数学の技術に関する記録報告が 「論考」 でした。数学が大嫌いだった文学青年が 2年に亘 (わた) って、ただ一向に数学を学習しました。今では、私は数学を好きです。高校生の頃の悲惨な成績は、振り返ってみれば、数学を学習しなかったというだけの事だったのかもしれない。私は数学者ではないので、私の数学の知識・技術など高が知れている──私の数学力は [ それが基礎の基礎である事は ]、「論考」 と 「いざない」 を読んでもらえばわかるでしょう。私の仕事は、数学基礎論の モデル 論を 「システム 分析」 の技術として具体的に使う事であって、数学の論説を立てる事じゃないので、「論考」 「いざない」 で述べたくらいの知識で必要十分だと思っています。
1998年から 2000年のあいだに私が学習した労を果たして effort と称するのか、、、私には、そんな感覚 [ 努力したという思い ] は毛頭なかった、というのが正直な感想です──辛いと思った事は聊かもなかったし、愉しいと思った事もほとんどなかった。やるべき事をやっただけの事です。学習は (仕事の) 前提にすぎないのあって、学習する事に一喜一憂している様では一人前とは言えないでしょうね。勿論、数学を本職にすれば、話は違ってくるでしょう──本職にしていれば、仕事のうえで絶望を感じる事もあれば、Eureka! と歓喜に叫ぶ事もあるかもしれない。そして、私も、自分の本職では、絶望を幾度か味わって来たし、新たな着想が浮かんで具体的な技術として実現できた時の充実感は この上ないし、充実感の直後に襲ってくる虚脱感も味わっています [ 「論考」 を脱稿した後で、私は一年間ほど蛻の殻になって了 (しま) いました ]。
引用文の二番目を私は共感します──仕事の品質を高めるためにできる事を常に考えていればいいだけの事でしょう。
引用文の三番目は、身につまされる──私は仕事を一所懸命にやっているけれど、いつも後悔した後で学習するので、紛れもなく鈍くさい部類に入るでしょう。しかし、事前に物事を見透かして (と思い込んで) 退屈して暇潰しに他人を評している連中などを私は相手にするつもりは更々ないし、私くらいの程度の凡才は、牛歩でもいいから、余所見しないで歩むしかない、目的を実現する辛抱強さを持ち続けるしかない。それ以外の事は、どうでもいい事だと思う。
我々の怠惰を罰するのは、自身の失敗という事の他に、他人の成功という事がある。頭の良い人は、他人の、しかも、自身よりも格下とみなしていた他人の成功を見れば、心穏やかではないのでしょう。私は面と向かって言われた事がある──「オマエにできるなんて奇怪しい」 と。私を下に見ていた頃には、その人は親切だったw。
他人の成功を目にして、自分が もし その仕事をやれば、自分にも そのくらいの事はできると思っている自任は、ウラ 返せば、自分がそういう境遇に居なかった不遇を託っているのではないか──その人が、たとえ才が豊かでも、三十年の勤労を一飛びには越えられないでしょう。自分の仕事の出来栄えに満足していなくても、自分の才を不満に思わない、そういう自惚れが頭の良い人たちにはあるのではないかしら。しかし、労する事なしに才走って生産された物 [ 論説など ] は、丈夫な根を張っていないので直に枯れるでしょう。私は、自分の仕事をそういうふうにはしたくない、だから effort を惜しまない──鈍くさいと嗤 (わら) われても。目的を持たぬ effort を論じても ナンセンス でしょう。そうであれば、仕事の質を高める事さえ考えていればいいのではないかしら。
(2013年 2月 8日)