Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション emotion のなかで、以下の文が私を惹きました。
There is a road from the eye to the heart
that does not go through the intellect.
G. K. Chesterton (1874-1936) British writer.
The Defendant
The intellect is always fooled by the heart.
Duc de la Rochefoucauld (1613-80) French writer.
Maximes, 102
私は英語を母国語としていないので、emotion と feeling との ニュアンス の違いが実感できない。Emotion のほうが (feeling に較べて) instinctive (本能的) で、逆に、feeling のほうは a sense of touch が語感になるのかな、というくらいの納得しかできていない。例えば、「感情的に反対だ」 という意味では、emotionally を使うでしょうし、「...感」 という意味では feeling を使うでしょう [ a feeling of duty, a feeling of security, a feeling of tension など ]。
さて、引用文の一番目ですが、文脈がわからないので、意味を色々に汲み取る事ができます──「感情」 に対して擁護的とも侮蔑的とも読む事ができる。原典 (The Defendant ) では、どういう意味で使われているのかわからないのですが、この引用文だけを読んで私が抱いた思いは、良い意味で、「感情」 に対する信頼感です──「感情」 の直截的な [ 知性に俟 (ま) って一々入念に調べる事をしない ] 事物 (対象) が到り来る状態です。私は a road from the eye to the heart という句を読んだ時、「画家の眼」 を想像しました。
引用文の三番目の意味は、一番目と正反対ですね。ちなみに、Duc de la Rochefoucauld 氏は、ライプニッツ (G. W. Leibniz) 氏や スピノザ (Baruch de Spinoza) 氏と同時代に生きた人です。王侯や教会が勢力を持っていた時代です。しかし、現代に生きる私は、この文を捩 (もじ) って、次の様に綴るかもしれない。
The heart is always fooled by the intellect.
ただし、intellect は intelligence (quickness of understanding, the collection of information) に置き換えたほうがいいでしょうね。物事を具 (つぶさ) に観る事をしないで、あるいは物事に接して起こった心象を認めないで、その辺りに落ちている尺度 (法則的な要約情報) を拾い宛がって、物事を速断する [ 自分自身を騙している ]、と。
(2013年 3月 1日)