Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション equality のなかで、以下の文が私を惹きました。
What makes equality such a difficult business
is that we only want it with our superiors.
Henry Becque (1812-89) British poet.
Pippa Passes, Pt. T
Equality には 29篇の quotations が記載されていたのですが、私の興味を惹いたのは一つでした。引用文の意味は、「Equality を難しい厄介な事にしているのは、我々が優れた人たちと平等である事を望む事にある」 という意味。
芥川龍之介は、次の文を綴っています (「侏儒の言葉」)。
天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。同時代は
常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里
の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。
後代は又その為に天才の前に香を焚いている。
我々は大抵の他人に較べて自分たちが際立って抜きん出ているとは思っていないので、逆に他人が際立った考えかたをするとは信じていないのではないか。そして、実力の似た者同士のあいだでは、抜け駆けは許さないという風潮があるのではないか。私は数学や科学に疎いので芸術 (特に、文学) の天才に限って言うのですが、天才の作品を読めば我々でも わかる [ 数学や科学では、そうはいかないでしょう ]。小林秀雄氏は次の文を綴っています (「マルクス の悟達」)。
天才というものも、この世に生れている限り、凡人と同じ構造の
頭脳を持つ外はない。この自然の恩恵により凡人は天才の口真似
造作なく出来る、つけ上った挙句天才なんぞいないなどという
寝言を言う。馬鹿をみるのは天才で、天才は寛大だから腹を立て
ないのではない、奇体な真理を探り当てるのは愚かであり、真理
とはもともと凡人に造作もなく口真似が出来る態のものしかない、
という事を悟る事が天才なる所以であるからこそ、虫をこらえて
いるのである。
我々は天才の作品を曲がりなりにも読み通すことができるので、天才は我々凡人と較べても、それほど懸け離れた才ではないと見くびってしまいがちです。小林秀雄氏は自分自身を作品として晒しただけですが、独自の視点・文体を持った天才でした。小林秀雄氏が現代に生きていたら、ウェブ に集まる批評家雀たちに 「独断的」 「衒学趣味」 「上から目線 (高慢)」 とか 「印象批評」 などという非難を浴びて叩かれるでしょうね (笑)。
我々は、天才の作品を読んで わかったつもりになって ああだこうだと批評しますが、天才の作品は様々な 「解釈」 が可能であると同時に、様々な 「解釈」 には びくともしない。だから、作品が時代を超えて残るのでしょうね。嘘だと思うなら、若い頃に読んだ作品 (後世に伝わる作品) を、再度、読んでみて下さい。小さく叩けば小さく響き、強く叩けば大きく響くのが作品が天才の作でしょうね。我々の人生体験に応じて反響してくれます。それを感じたら、天才は我々と一歩しか隔てていないけれど、その一歩は千里であることがわかるでしょう。
(2013年 4月 8日)