Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション excellence のなかで、以下の文が私を惹きました。
Whatever is worth doing at all is worth doing well.
Earl of Chesterfield (1694-1771) British stateman.
Letters to his son, 10 Mar 1746
The best is the enemy of the good.
Voltaire (Francois-Marie Arouet; 1694-1778) French writer.
Dictionnaire philosophique, 'Art dramatique'
私は律儀な性質なのかもしれないのですが、与えられた仕事に対して全力を尽くさなかった事は殆どありません。勿論、こういう態度は、当たり前の事であって自慢する事ではないでしょうね。難しい仕事 (あるいは、他の人たちがやりたくない様な厭な仕事) にもかかわらず、仕事の報酬が少ないので、報酬と釣りあいがとれるくらいの力量で以て仕事を為す、それが プロフェッショナル だ、と言った知人がいたけれど (私のかつての同僚ですが)、思い違いをしているのではないか。そういう態度には、己の仕事 (あるいは、力量) を知り尽くしている──報酬にみあう仕事の質を計量する事ができる──という慢心があるのではないか。しかしながら、役立つ仕事は、それ自体が楽しみであって、それから得る報酬に因って楽しいのではないでしょう。
些細な仕事を宛がわれても、「こんな つまらない仕事をしていても為にならない」 という考えを取り除く事が、今後の業績の半ばを形成すると云ってもさしつかえないと思う。些細な仕事であっても、実際にやってみなければ わからない工夫がある筈です。独力の工夫に因って自分の力を試す、そういう体験を重ねて実力が着々と得られるでしょう。この工夫するという事が難しいし同時に楽しいのです。
些細な仕事 (あるいは、報酬の少ない) 仕事を つまらないと思うのは、これらの工夫を はしょるからではないか。しかしながら、仕事の工夫は、全身全霊という対価を払いながら、ゆっくりと学ぶものでしょう──工夫するには、いかに すぐれた人物でも或る程度の時間を費やさなければならない筈です、工夫は仕事を扱う手つきです。実際に仕事をすれば、必ず、眼高手低 [ 頭でわかって口で言うのは簡単だが、実際に物を制作するのは難しいという事 ] という状態になる筈です。しかしながら、仕事で体験を或る程度積んできた悧巧な ヤツ は、仕事を知り尽くしていると思い込んでしまう様です。そして、そういう悧巧な人は仕事に慣れてくれば、往々にして、手抜きを覚える。手抜きにも気付かれないようにするだけの細工がいるのですが、そういう姑息な事を覚えると、一見 工夫した手管めいてはいるけれど、仕事をしない工夫であって、仕事を上手に為すための工夫はしたがらない。報酬に見あう事しかやらないという計算高い人は、せいぜいそんな所を ウロウロ しているにすぎないでしょう。ささやかな工夫というものが持っている力がわからないと仕事というものの楽しみがわからないのではないか。
引用文の二番目は、皮肉でしょうね。若い頃の私であれば、こういう気の利いた アフォリズム に惹かれたでしょうが、今はそうでもない。聞くだけ読むだけでは、こういう名言も気の利いた洒落で終わってしまうでしょうね。こういう悧発な アフォリズム に感服していないで、普段通りに仕事をすること、それだけでいいと今の私は思っています。
(2013年 5月23日)