Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション experts のなかで、以下の文が私を惹きました。
By studying the masters - not their pupils.
Niels Henrik Abel (1809-29) Norwegian methematician.
When asked how he had become a great mathematician so quickly
Men of Mathematics (E. T. Bell)
数学者 アーベル の言葉です。27才で夭折した天才です──「アーベル の定理」 と呼ばれるものは数学の数々の部門にわたって数多くあります。アーベル ほどの天才でないにしても、凡そ学問に従事している人々は、たいがい アーベル が述べている様に研究するのではないかしら。私は研究家ではないのですが、仕事 (モデル 制作) 上、理論を学ぶ時には、まさに そうしています。寧ろ、研究家でないがゆえに研究のために存分な時間をとれないので、理論を学ぶにはそうせざるを得ないというのが実態です。
モデル 論を遡れば辿り着く先は、ゲーデル か チューリング でしょう──ゲーデル を学べば、スコーレム も気になるかもしれない。私が モデル 論を本腰入れて考える様になったのは 40才の時 (1993年) ですが、その頃は ゲーデル を知らなかった。1998年に 「T字形 ER データベース 設計技法」 を出版したのですが、T字形 ER法の理論的証明が不充分である事を痛感して、数学基礎論 (モデル 論、証明論、集合論、帰納的関数論) を学習しはじめた頃でした。いかに モデル 論を知らないか、自分の書いた著作を読み返してみて初めて気がつきました。そして、数学基礎論を学習して、その源流が ゲーデル である事に気づきました。
数学が嫌いで文系を選んだ文学青年 (私) は、高校三年生の頃から数学を正規にやっていなかったので、数学基礎論を学ぶための苦労は並大抵な事ではなかったのですが、「ゲーデル の定理 (不完全性定理)」 が コンピュータ の源流である事を知りました。その定理が数学基礎論の中で大きく扱われているので大事な定理であるのはわかるのですが、モデル 論を学習する際、ゲーデル に狙いを定めたのは実は ウィトゲンシュタイン の 「数学の基礎」 を読んでいたからでした。ウィトゲンシュタイン を私は若い頃 (19才頃) から今に至るまで読んで来たのですが──ウィトゲンシュタイン (「論理哲学論考」) を若い頃に夢中で読んでいましたが、今振り返れば、彼の論に夢中になった割には考えかた (特に、「哲学探究」) を掴んではいなかったのですが──、ゲーデル を読む様になって、ウィトゲンシュタイン の思想を やっと追跡できる様になりました。以来、ウィトゲンシュタイン と ゲーデル は、私が モデル 論を探究するための指針となりました。
データベース 設計では、E.F.コッド の関係 モデル が転換点 (epoch-making) です。コッド 関係 モデル を初めて学習した時──私が 32才の頃 (1980年代) でしたが──、チューリング 賞を受賞した際の有名な講演論文 "A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks" (ACM, 13, 5 (1970年)) を読んでも、(論旨は大雑把にわかったのですが、) 技術的な──「数学的な」 と言い替えてもいいのですが──証明はちんぷんかんぷんだった。私は リレーショナル・データベース を日本に導入普及した エンジニア の一人とみなされていますが、当時、自分が咀嚼していない論を専門家面して語っていた事を回顧すれば恥ずかしい。数学には、理性が最も欲しがっている完全性 (無矛盾性と健全性)、つまり一貫した脈絡と連続とがあります。数学は、我々の性質の弱点──厳正な証明 (構文論) が辛くなったら、意味論に直ぐに逃げる弱点──に訴えかけたりしない純正で厳 (きび) しい完成能力をもっています。
コッド 関係 モデル を会得したいがために、当時、大学教授の T 氏が ソフト・リサーチ・センター 社の開催している データベース・セミナー の講師をなさっていらしたので、私は ソフト・リサーチ・センター 社に頼んで T 氏の セミナー を聴講させてもらったのですが、T 氏と昼食を御一緒した時、T 氏がおっしゃった次の言葉が忘れられない──「コッド 論文 ("A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks") は読みやすかったですね。2日間で読めました」。それを聞いた時、私は自分の頭の悪さを痛感しました──というよりも、数学を学習して来なかった文学青年が数学を知らないがために自分の仕事で使う論を了得できない事が歯痒かった。ちなみに、コッド 論文は他にも、"Further Normalization of the Data Base Relational Model" や "SQL Fatal Flaws" や (それらの他にもあるのですが割愛します)、著作 "The Relational Model for Database Management" が出版されているのですが、それらを読んで コッド 関係 モデル を ちゃんと語っている人は どのくらい いるのかしら。他人の書いた入門書を数冊読んで 「わかりやすく、手っ取り早く」 論を囓って専門家として立ち回ろうとしている人を観ていると、こちらがひやひやする、なんて間抜けだろうと思う。勿論、「社会」 は、その過去の仕組みを拡張する様に 「理論」 を利用するので、論を作った本人の意図とは関係なしに論は流通する傾向があるのですが。
数学基礎論を学習した後では、コッド 関係 モデル を把握しやすかった。今の私の学習は、ウィトゲンシュタイン と ゲーデル を中核にして──スコーレム も いずれ本腰を入れて学ぼうと思っているのですが──、芋ずる式に他の研究家たちを読むという やりかた です。私が敬意を払っている人物の一人である荻生徂徠は、以下のように言っています。
万事、その道を論じるには、まず その道を行った人を論じるのが
早道です。
或る研究家を徹底的に読むのは非常にいい事だと思う。研究でもしようというのでなければ、そんな事は無駄事だと思われるのですが、一番に 「手っ取り早い」 しかも確実な学習法です。「急がば回れ」 という諺がありますが──こういう平凡な事は知っていても実感となるのは年令を重ねた後であるという私の様な凡人の悲しさですが──、その分野の源流となっている研究家は、読んでいても途中で度々立ち止まらざるを得ない、頭がもっとはっきりしている時に再読しろと叱られる。そういう研究家は、単に知識を与えるというのではなくて、一つの考えかたを示して、「他の証明法を考え給え」 と迫って来る──ウィトゲンシュタイン や ゲーデル は、まさにそうです。だから、彼等の思想 (証明法) から いくつもの論 (亜流?) が派生する。源泉の思想は、そういうものではないか。
(2013年 6月23日)