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Fiction is not a dream. Nor is it guess work. It is imagining based on facts,...
(Margaret Culkin Banning)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション fiction のなかで、次の文が私を惹きました。

    There are many reasons why novelists write,
    but they all have one thing in common -- a
    need to create an alternative world,

    John Fowlers (1928 - ) British novelist.
    The Sunday Times Magazine, 2 Oct. 1977

 
 文学の性質が fiction であって、fiction の定義 (literature describing imaginary events and people) が そもそも そういう性質なのだから、Fowlers 氏の言は同語反復でしょうね。したがって、彼の言説は取り立てて目新しい言説ではないのですが、私が ここで問題にしたいのは、a need to create an alternavie world という作家の衝動です。私は作家 (小説家) になることを かつて 夢みた文学青年の端くれなので、この衝動について多大な興味を抱いています。文学青年には、この衝動がない──作家になりたいという淡い憧れはあるが、ついに文学青年で終わった人には、この衝動は絶対にない。この衝動のない人が小説と称して文を綴っても、所詮 体のいい [ 毒にも薬にもならない ] 作文に終わる──読者には直ぐに見透かされる。この衝動は、どこから生まれるのか、、、。

 文学とは対極に位置すると思われている数学の新しい定理の発見 (発明 ?) にも、実は、この衝動が係わっているのではないかしら。集合論 (ツェルメロ が構成した公理的集合論以前の集合論) は カントール が一人で構成しましたが、カントール が言った ことば (「数学の本質は自由にある」) について、故 森毅先生は すばらしい警告をおしゃっている──「カントルは心を病んで精神病院に入る。『数学の本質は自由にある』 というのは カントル の言と伝えられているが、それは精神病院の鉄格子の中でこそ吐かれるべきであって、教授室の椅子にふんぞりかえって言うのは、はしたないと思う」 と。

 この はしたない ことを我々凡人は平然とやっている、、、天才は、この衝動を凝視して、(衝動が命ずることを) 実践している (と思う──私は凡人なので、天才の頭のなかはわからないから推測でしか言えない)。しかし、この衝動は、社会生活を営むうえで、邪魔になる。天才は、いずれ、天才としての評価を得るけれど [ 衝動の命ずることを実践したことが評価されるが ]、天才ではなかった凡人が半途に為して 天才を気取っている様が 社会生活のなかでは惨めのほかない。書かなければならないという 身を突きあげる衝動のないままに、凡人が fiction の世界に半途に足をつっこんだゆえに、社会的な成功もないし、fiction の正真正銘の壺中天も創り得なかった、、、しかも、天才の創ったものを 為 (し) たり顔で批評しているとなれば、まじめ腐った冗談としか言いようがない。勿論、これは私のことを言っている。

 
 (2017年 5月 1日)

 

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