Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Good のなかで、次の文が私を惹きました。
The greatest pleasure I know, is to do a
good action by stealth, and to have it found
out by accident.
Charles Lamb (1775-1834) British essayist.
The Athenaeum, 'Table Talk by the late Elia', 4 Jan 1834
You shouldn't say it is not good. You should
say you do not like it; and then, you know,
you're perfectly safe.
James Whistler (1834-1903) US painter.
Whistler Stories (D. Seitz)
Good の セクション の前に God の セクション があったのですが、God に関して私は実感を述べることができないので、God の セクション を飛ばしました。
さて、引用文の一番目、淮南子 (えなんじ) のことばを借りれば 「陰徳あれば必ず陽徳あり」 ということに近いのかもしれない── Charles Lamb は by accident と言って、淮南子では 「必ず」 と記述されていますが。陰徳を否定する人はいないでしょうが、それが顕れることを意図していれば臭みがつく──「陰徳あれば必ず陽徳あり」 と思うこと自体が臭みがつく。人間訓 (道徳) が (それが自戒であるとしても) うざいのは、その所為でしょうね。道徳を教える (または、学ぶ) ときの難しさでしょう。私も、人知れず良いことをしたときには、「誰かがわかってくれる」 という微 (かす) かな期待が心の何処かにあることは正直に告白しておきます。
引用文の二番目、「善し悪し」 と言うよりも 「好き嫌い」 と言うほうが safe (安全な、危険のない、無事で、用心深い) である、と。そりゃあそうだ、「善し悪し」 は価値判断を問われる命題だが、「好き嫌い」 は嗜好の話 (自分自身の実感) だから。誰も他人の嗜好を否定することはできない。私は好き嫌いで ものを言うと非難されることが多いのですが、「好き嫌い」 を言うことが (「善し悪し」 の価値判断を問われないので) safe だということではなくて、私の実感を他人は否定できないという当たり前ことを根拠にしているだけです──私は好き嫌いを言うとき、勿論、嘘は一切言っていない。
(2018年 4月 1日)