< anti-computer-20180515
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Big mouthfuls often choke. (Italian Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Greed の中で、次の文が私を惹きました。

    Wealth is like sea-water; the more we drink,
    the thirstier we become; and the same is
    true of fame.

    Arthur Schopenhauer (1788-1860) German philosopher.
    Parerga and Paralipomena

 
    People will swim through shit if you put
    a few bob in it.

    Peter Sellers (1925-80) British comic actor.
    Halliwell's Filmgoer's and video Viewer's Companion

 
 Greed の意味は excessive desire esp. for food or wealth (The Pocket Oxford Dictionary) です── excessive は、too much, too great, more than what is normal or necessary (同辞典)。Too much が悪いことは誰にでもわかることでしょう──食べ過ぎ、飲み過ぎ、(タバコ の) 吸い過ぎ等々。Excessive というのは、どの程度を云うのかは、当人が置かれている環境条件や当人の心身状態 (構成条件) の中で判断するしかないので、一般論では言えないでしょうね。或る人にとって excessive なことでも、他の人には そうでないこともあるので。

 さて、引用文の一番目は、fame (= renown; the state of being famous、The Pocket Oxford Dictionary) すなわち 「名誉欲」 について述べています。この欲望をもう少し緩 (ゆる) く考えてみれば 「承認欲求 (自己顕示欲)」 として考えることもできるでしょう。「承認欲求」 のない人など いないのではないか──「指示されたことを ただ実行する」 という人を除いて。しかし、我々の生活のすべてのなかで「指示されたことを ただ実行する」 という人などいるはずもない。我々は、生活のなかで、自分の能力について評価が問われる事態 (たとえば、仕事) では自分の存在を示すために なんらかの自己 セールス (アピール) を 多かれ少なかれ している。そして、「承認欲求」 の強い人が 「オレ 様」「オレオレ 系」 として揶揄嘲弄されるのでしょうね。

 私について言えば、「承認欲求」 は若い頃 (30歳代、40歳代) には強いほうだった。たぶん、才識ある若者であれば、性質が温和しいかあるいは よほど徳のある人 [ 若い人には難しいことです! ] を除いて、「承認欲求」 は強いでしょう。逆に、若い人で徳ある人物などは 「爺むさい」 印象を与えるのではないか──「覇気がない」 若者だと云われて。若者は 「少々やんちゃなほうがいい」 と。

 私が 「承認欲求」 を 或る程度 抑止できるようになった年齢は 40歳代後半 (あるいは、50歳代) です。「承認欲求」 は無くなることはないでしょうね、本能に近い欲求だと思う。無くならないなら、上手に抑止するしかない。抑止するには、抑止するための やりかた を学ばなければならない。学ぶためには、年数がかかる。だから、若い頃には この欲求を抑止するのは難しい。或る程度の年齢を重ねなければならない。ただ、50歳を越えても 「承認欲求」 が強いというのは怠け者 [ 修身を怠った鈍 (なまく) ら ] でしょうね。

 引用文の二番目、a few bob は a lot of money のこと [ informal な British 英語 ]。引用文は、端的にいえば、Money talks ということかな。私自身は、金銭 (収入) があろうがなかろうが気にしない──実際、年収が多いときも少ないときも [ こういう ジェットコースター のような生活が自営の面白い生活です (笑)]、収入に呼応して私の性質が変転している訳でもない。私の周囲に居る人たちが私について どういう印象を持っているのかは わからないのですが、私自身の生活態度は そう変わっていない。変わった点があるとすれば、年齢を重ねるにつれて、穏和になったかもしれない。

 私は、若い頃から金銭に対して無頓着なほうだったかもしれない。寧ろ、若い頃 (20歳代) は、「金銭なんか汚い」 という思いのほうが強かった──「文学青年」 の性質を たっぷりと帯びていました。その性質は、根柢では今でも変わっていないのかもしれない。仕事の契約がないとき、数ヶ月ほど仕事がない日が続いても、私は全然平気です──1日中、机に向かって、書物を読んだり WWW を サーフ しています。そういう無頓着な図太い性質だからこそ、ほぼ 30年間、(営業活動も一切しないで) 自営を続けることができたのかもしれない。

 だから逆に、金銭で物事の ケリ をつけようとする人に対しては、私は強烈な嫌悪感を覚えます。以前、或る企業 (○社) から契約したいと申し出があったのですが、私は他の企業と契約することが既に決まっていて、その申し出を辞退しました──私が辞退したときに、○社の部長が 「ビジネス なんだから、金銭を多く出せば (契約を) 受けてくれるだろう云々」 と言ったので、私は ひどく不快感を覚えました。

 私は商売が きっと下手なのでしょう。儲けるためには、多少 greed になって (欲を出して) その申し出を受けたほうがよかった。でも、そんなことは百も承知です。私は儲けるために独立開業した訳ではない──他の人たちに なかなか わかってもらえない点ですが。

 
 (2018年 5月15日)

 

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