Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Hate の中で、次の文が私を惹きました。
I am free of all prejudice. I hate everyone equally.
W. C. Fields (1880-1946) US actor.
Attrib.
We can scarcely hate any one that we know.
William Hazlitt (1778-1830) British essayist.
On Criticism
If you hate a person, you hate something in
him that is part of yourself. What isn't part of
ourselves doesn't disturb us.
Hermann Hesse (1877-1962) German novelist and poet.
Demian, Ch.6
Hate の意味は、very strong dislike です。Hate は、「反 コンピュータ 的断章」 で以前に綴った forgive に関連するかもしれない── 嫌なことをされたがために hate している人物を それにもかかわらず forgive する、と。
私は他人に憎しみ (憎悪) を感じたことはない。そのことは私が高徳であるということではなくて、なんのことはない 私は他人が私に関して言うことに対して ほとんど無関心な 「自己中」 だからです──自己弁護すれば、私は私が抱えている問題 (あるいは、関心のある事) で手一杯なのであって、他人が私に関して言うことには私は無関心なだけです。その状態を反語的に語ったのが引用文の一番目でしょう──引用文中の hate を indifferent とか unconcerned に置き代えたら、私自身のことに まさに ぴったりする。逆に、他人に無関心であるという私の態度は、或る種の人々 [ いわゆる 「真面目な」 人たち ] から そうとうに反感 (あるいは、憎悪) を買うようです──「我が儘である、世間知らず」 と (苦笑)。
引用文の二番目、この know は、familiar with のことでしょう──「親しい人を憎めない」 と。この hate を blame とか criticize に置き代えれば、「身内には甘くなる」 ということでしょうね。身内でなくても或る程度顔見知りの人には、その人が ヘマ をやらかした場合、私は面と向かって叱ることが なかなか できない──その人を叱れば、今までの良好な関係が壊れるということを危惧している訳ではないけれど、なぜか叱りにくい。その人がもたらしてくれる様々な便益を失いたくないという下衆 (げす) な思惑など私は微塵も持ってない。もし、私の友人が他人から叱られていたら、私は友人を寧ろ庇う。私が ヘマ をして他人から非難された時に、友人たちが私を庇ってくれたことも多いので、「懇意な人に甘くなる」 というのは私だけの優柔な性質ではないのでしょう。懇意な人に対しては、その人の (欠点・失敗を相殺して余りある) 長所を どうしても観てしまうようです [ だから、懇意にして来ているのでしょうね ]。
引用文の三番目。相手に対して関心がなければ、相手に対して反応しないでしょうね。自分の持っているもの──それが物品などの有形物であれ、性質などの無形物であれ──を相手も持っていれば、相手に対して なんらかの反応 (共感、対抗心など) が起こるでしょう。引用文では負 (−) の反応 (憎しみ) を述べていますが、当然ながら正 (+) の反応 (共感) も起こるでしょう。負の反応が起こるのは、相手が自分と同じ (あるいは、似た) ものを持っていて、それを用いて成功しているのに、いっぽう自分は持っているものを生かせず くすぶっている場合でしょう──そういう場合には、嫉妬や憎悪などの反感が起こることが多いでしょう。しかし、その反感を顕せば、自分自身を卑しめるので、黙って不快な感情を抑えているしかない──相手の成功を心から喜べない。私も若い頃 (20歳代、30歳代) には、この感情に悩まされていました。私がこの感情から免れるようになったのは 40歳半ば頃だったと思う。
私がこの感情 (嫉妬) から免れられた理由を はっきりと特定することができないけれど、ひとつの理由だけが作用したのではなくて様々な条件が重なって いつしか嫉妬が起こりにくい [ 皆無になったとは言えない ] 性質になったと思う。今から 40歳代を振り返れば、モデル 技術 TM を作ることに専念していた時期です。数学・哲学の学習に専念していた時期です──高校・大学で数学を正規に学習して来なかった私が数学と悪戦苦闘していて、喩えれば広大な海に投げ出されて溺れないように必死に泳いでいた。当然ながら、自分自身の学習に精一杯で、他人のことに気が回らない状態でした。他人との比較ではなくて、自分自身との戦い [ 昨日の自分に比べて、きょうの自分が少しでも数学の学習を進めることができたという戦い ] が続いた。おそらく、この状態が、他人と比較して自分の優位性を探すという間違った競争心を持たなかった理由だと思います。そして、ウィトゲンシュタイン氏・道元禅師や小林秀雄氏・亀井勝一郎氏を読んでいたことも幸いしたのだと思う。道元禅師曰く、
愛名は犯禁よりもあし、
犯禁は一時の非なり、愛名は一生の累なり、
おろかにしてすてざることなかれ、
くらくしてうくることなかれ、
うけざるは行持なり、すつるは行持なり。
(2018年 8月15日)