Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Heroism の中で、次の文が私を惹きました。
ANDREA. Unhappy the land that has no heroes.
GALILEO. No, unhappy the land that needs heroes.
Bertolt Brecht (1898-1956) German dramatist.
Galileo, 13
Every hero becomes a bore at last.
Ralph Waldo Emerson (1803-82) US poet and essayist.
Representative Men, 'Uses of Great Men'
「英雄 (hero)」 というのは、大衆にとって 「消費財」 ではないか。我々 凡人は幼年期や青年期には、「英雄」 に憧れて 自分もそうなりたいという欲求をもつことがあるが、壮年期に至れば、自分の平凡な力量を落ち着いて見定めて、しかも 「英雄」 を生むための環境条件 (動乱などの危機的状況) に遭遇する可能性のない平凡な安定した (人並みな) 生活を送っている自分を良しとしているのではないか。そして、自分ができないことを為して成した 「英雄」 を一時 (いっとき) 褒め称えるが、しばらくすれば 平凡な安定した (人並みの) 生活に戻って、彼らを忘れてしまう。勿論、「英雄」 は、そんな大衆を一顧だにしてはいまい。彼らは自分が成すべきことを為したにすぎない。そして、大衆が褒めそやす。「英雄」 を創るのは賞賛者たちなのだから。
「どうか英雄とならぬように──英雄の志を起こさぬように力のないわたしをお守り下さいまし」(芥川龍之介)。若い頃には、他人と比べて少々才識があって自惚れが強い人は天才を気取りがちですが、本物の天才というのは、たぶん、無邪気な性質であって気取るということが毛頭ないのではないか。ただ ひたすら自分の為すべきことに集中しているのではないか。
「英雄」 とか天才は変人が多いのかもしれないけれど──集中力が並外れて、情熱に溢れ、一事 (為すべきこと) に専念していて、我々凡人には近寄りがたいのかもしれないけれど──彼らを近くで観れば、我々凡人とさして変わっている訳ではないでしょう。英雄・天才といえども、実生活では我々凡人と似たよう性質を持っている──守銭奴 (あるいは、金銭にだらしない) であったり、チャラチャラ した パリピ であったり、頑迷であったり、スケベ であったり、自惚れが強いなど。だから、芥川龍之介は次の ことば を吐いたのではないか──
天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。同時代は
常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里
の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。
後代は又その為に天才の前に香を焚いている。
(侏儒の言葉)
(2018年10月 1日)