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What an unhappy man I am! (Romans 7-24)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Human Condition の中で、次の文が私を惹きました。

    You come to the world alone, you got out
    alone. In between it's nice to know a few
    people, but being alone is a fundamental
    quality of human life, depressing as that is.

    Helen Mirren (1945- ) British actress.
    Remark, Jan 1989

 
    We have to believe in free-will. We've got no
    choice.

    Isaac Bashevis Singer (1904- ) Polish-born US writer.
    The Times, 21 June 1982

 
    All men should strive to learn before they die
    What they are running from, and to, and why.

    James Thurber (1894-1961) American humorist.
    Attrib.

 
 Human Condition の セクション には 22篇の引用文が記載されていたのですが、私は これら 3篇を選びました。選んだあとで思ったのですが、この 3篇は我々の人生 (人生をいかに送ればいいか) の心得を考える指針となることに気付きました──

 (1) 我々は生まれたときには ひとりであり、死ぬときにも ひとりである。
   ひとりであるというのが人生の基本的性質である、それが惨めであっても。

 (2) 我々は自由意志を信じなければならない
   (我々は自由意志の存在を信じて手本としなければならない)

 (3) 我々は死ぬ前までに次のことを努力して学んだほうがいい──
   我々は何から走り出て、何に向かって走っているのか、そして
   それは何故なのか、と。

 私は 65才です。65才になって自らの人生を振り返ったときに、これらの引用文 3篇が述べていることを痛感します。私は若い頃 (高校生の頃) から文学・哲学の書物を多く読んできて、「文学青年」 気質が強く、物事を深く考え込むほうです──私が若い頃から今まで ズッと愛読してきた人物は、有島武郎・亀井勝一郎・小林秀雄・道元・ウィトゲンシュタイン・アラン・ヴァレリー です。彼らは人生について考えを巡らしてきた人物です。そして、彼らは私に多大な影響を与えました──善い意味でも悪い意味でも。

 善い意味では、引用文の 3篇が述べていることについて つねに考えてきたこと。他人から見れば、私のそういう性質は いわゆる 「こじらせ系」 として映るでしょうが、「考え込むけれど、悲観しない (negative にはならない)」 という淡々とした性質が私にはあるようで、私は悲観的になったことはない。悪い意味では、それ相応の (すなわち、長所とウラ腹になる) 悪癖も しっかりと身についています。

 介護施設で働いていたとき [ 2012年 4月から 2017年 6月までの約 5年間、パート として働きました ]、年配の或る介護 ヘルパー が私のことを 「御公家さんみたい」 と言いました──言えて妙で、この ことば が私の短所を言い当てています。ちなみに、その介護 ヘルパー は、良い意味で [ 私の雰囲気が 「俗」 的ではないと ] 言ったのですが、それが そのまま 私の欠点になるでしょうね。

 まず、引用文の二番目から。私は、日常生活の諸事について ほとんど興味がない──住居、食事、ファッション、人づきあい、銭儲けなどには興味がない。若い頃 (30才代前半) には 「雲水」 になりたいと真面目に思ったこともあります。ひょんなことになって モデル 論に手をだして 65才まで生きてきました。自由意志を押し通して、37才から今まで フリーランス (自営) でやってきました──自営でありながら、営業活動を一切しないし、人脈を拡大するような人づきあいもしないし、広告も一行も出してこなかったし、事業を拡大しようとも思わなかった。「運 (fortunate、lucky)」 に任せて生きてきました。そして、「運」 は、いつでも なにかしら危なかっしい──「こういう生活を続けるのは、もう駄目かな」 と思ったときに、それでも 途切れがちに 「運」 よく打開策が現れる。そういう生活を続けてきて、20才代から今まで一貫して 「考える (「興味を抱いたこと」 を探究する)」 ことだけは保持してきました。

 37才のときに独立開業しましたが、正確に言えば、独立開業は私の意志ではなくて周りの人たちから促されました。私が自由意志を はっきりと意識するようになったのは 40才のときです──自分のやりたいこと (好きなこと) をやる、と。

 引用文の三番目。私は学者肌だと云われることが多いのですが、一事に専念して研究を続けるには私の興味は多すぎて、学者には決してなることができないでしょうね──「文学青年」 的気質が強い。大学生の頃には作家になりたいという憧れを抱いていたのですが、そうかといって、作家 (小説家) になる習練はしてこなかった──哲学・英語・数学の書物を読んでいるほうが愉しい。大学などの研究機関に所属する専門家でもない私が、一日中 (昼夜逆転した生活をしながら)、書斎に閉じ籠もって書物を読んでいるのを身近に観ていた息子は、私のことを 「世捨て人」 と云っていました (苦笑)。

 作家になる習練もしない [ ちなみに、世事に興味のない人は作家にはなれないと思う ]、出家 (禅僧) になる覚悟もない、いっぽうで興味を抱いたことを追究しながらも一事に専念しないで研究家にならない人物とは、、、水に馴じまない油のようなものでしょうね、私自身は貧乏ながらも気ままな愉しい生活を送ってきたのですが、他人から見れば私は社会人・家庭人としては失格でしょう。彼らから見れば、私は我が儘な貧乏な変わり者 (a geek) に映るでしょうね。社会人 (生活者) としての美徳など私には見あたらない──「お前の道を進め、人には勝手な事を言わしておけ」 (ダンテ) という やりかた でもって過ごしてきました。

 最後に引用文の一番目 (being alone is a fundamental quality of human life, depressing as that is)。私は自営なので定年退職がない。身心が倒 (こ) けないかぎり、今の生活を続けるでしょう。今の生活に後悔を感じていないのか、、、たまに後悔することもありますが、65才にもなって 今更 人生をやり直すことなんかできないし、後悔を一寸感じても直ぐさま机に向かって読書や思索をはじめる。読書している時、思索している時、そして文章を綴っている時には、私は心が とても穏やかになる。穏やかという意味は、感情の激しい揺れがないという様相であって、愉しいとか辛いという状態を言っているのではない──愉しいとか辛いとかと云うのであれば、辛いことのほうが多い。

 若い人たちが これから生活していくうえで引用文の 3篇を信じて実践しようとすれば、社会 (日常生活) から浮いてしまうし、貧乏になる覚悟はしておいてほうがいいでしょう。自由意志を押し通して好きなことをやって、社会的評価をうけて、金持ちになれるのは、ほんの少数の逸才のみです。我々凡人は、好きなことをやるためには、それ相応の対価を支払わなければならないと覚悟したほうがいい。その覚悟が腹に入っていないと、他人の生活を見て嫉妬するなどして いずれ シッポ が出る。

 
 (2019年 1月 1日)

 

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