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Blessed are the meek: for they shall inherit the earth. (Bible: Matthew 5-5) |
Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Humility の中で、次の文が私を惹きました。
Because there's no fourth class.
George Santayana (1863-1952) US philosopher.
Albert Schweitzer (1875-1965) French Protestant 引用文の二番目、シュバイツァー 氏の ことば です──彼は、神学者・音楽家・哲学者・医師という多才な人物で、我々日本人には、彼は医師として アフリカ に渡って医療に奉仕したことで知られています (彼が オルガン 奏者として バッハ の解釈・演奏にすぐれていたことのほうも有名ですね)。ちなみに、私が かつて (2012年 4月から 2017年 6月末まで) 働いていた介護施設の初代の経営者 (故人) は、シュバイツァー 氏に随行した看護婦たちの一人だったそうです。 我々は知識が豊富になるにつれて教養が高まるという訳ではないようですね──多才であった シュバイツァー 氏も それを認めている (I too had thoughts once of being an intellectual)。日本の社会でも、頭のいい人たちが常識を欠いた愚行 (醜態、事件など) を晒している ニュース 報道が多い。この現象は、学歴偏向の現代社会に特有なことではなくて、江戸時代でも そうだったようです。「艶道通鑑」 のなかに次の文が綴ってある── 下手気の抜けぬ未熟柿(なまじゆくし)
とかく臭気(くさみ)の付(つく)族(わごぜ)に真物(まことのもの)は なまじの知識があるほうが たちが悪い。自分の持っているものを鼻にかけるというのは、どうも我々の抜き去りがたい性質なのかもしれない、シュバイツァー 氏も I found it too difficult と言っている。私自身も若い頃には そういう自惚れた性質が たっぷりと付いていましたが──「オレ は、こんな くだらない仕事をするような ヤツ じゃない」 というふうに自惚れていましたが──、今では そういう性質は たいぶ消えました。社会のなかで体験を積んできて、自分の知っていることなど高が知れているということが腹に入ったのかもしれない。自分の周りの他人と比較して自分のほうが優れていると威張っても 「目糞鼻屎を笑う」 の態でしょう。 |
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