Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Hunger の中で、次の文が私を惹きました。
If only it were as easy to banish hunger by
rubbing the belly as it is to masturbate.
Diogenes (412-322 BC) Greek philosophert.
Lives and Opinion of Eminent Philosophers (Diogenes Laertius)
A hungry stomach has no ears.
Jean de La Fontaine (1621-95) French poet.
Fables IX, 'Le Milan et le Rossignol'
Let them eat cake.
Marie-Antoinette (1755-93) Queen of France.
On being told that the people had no bread to eat; in fact she
was repeating a much older saying
Attrib.
引用文の一番目・二番目は、「恒産なきものは恒心なし」(孟子) ということに近い意味かな。一番目は、「腹を撫でたら空腹が消え去るなんていうことがあるわけないだろ、そんなこと言うのは簡単だわな、単に自慰して気持ちよくなっているのといっしょや」 という意味かな、、、或る意味では、(現実離れした) 空想 (あるいは、綺麗ごと) を揶揄していると読めますね。二番目は、「腹がへっている人は他人からなにを言われても聞く耳を持っちゃいない、(先ず腹を満たすことが一番の願い)」 ということですね。
引用文の三番目は、マリー・アントワネット の逸話として巷間に流布していますね。「パン が買えないなら、ケーキ を食べればいいじゃないの」──ジョーク だったら この上ないのですが、、、。そう言えば、我が国では、1960年に 「所得倍増計画」 の政策を発表した内閣の首相が、「貧乏人は麦を食え」 と言ったとか、、、。
恒産・恒心に関連した話として恋愛とか結婚においても、「愛だけじゃだめ、結婚の条件として経済力 (金銭) が一番大事。好いた惚れたは若い時だけ」 ということが言われるいっぽうで、「経済的に豊かでも愛がなければ不幸だ」 ということも言われていて、私から見れば、法則・定式などはない 「生きかた」 について、どうしてこうも断言したがる人たちがいるのだろうかと呆れています。他人からの御節介はご無用、「愛か経済力か」 などという くだらない二者択一の取り越し苦労も無用、結婚したいと思ったら自分の意志 [ 責任 ] で結婚すればいいでしょう、それが大人ではないか。
さて、hunger に話を戻して、身体的 (生理的) な飢えの他に 「精神的な」 飢えもある──知識欲 (a hunger after knowledge) とか名声欲 (a hunger for fame [ reputation ])。「精神的な」 飢えに関して言えば、「恒産なきものは恒心なし」 ということは およそ 準用できないでしょう。古来、貧乏な境遇において学問・芸術に精勤した人たちは多くいました──こういう人たちこそ、私から見れば、「Let them eat cake」 (良い意味で贅沢) な状態でしょうね。彼らの態度を私は大いに見習いたいと思っています。
私は 20才代の頃 大学院を修了してから一年間無職で (生活費を稼ぐために塾講師、家庭教師をやっていましたが)、その後 外資系会計事務所に就職して 1年半ほどで日本の会計事務所に転社し、さらに 1年後に転職するという風来坊でした──1970年代後半のことですから、当時、転社は今ほど普通ではなかった (そういう社会風潮のなかで私は 30才過ぎまでに転職・転社を 5回ほどしています)。高校時代から文学書を読んでいた影響なのかもしれないのですが──いわゆる 「文学青年」 気質が強くて──金銭に対して無頓着でした。そして、その気質は今でも変わってはいない。金持ちになりたいと思ったことはない。しかし、いっぽうで、30才過ぎになるまでは、私は 「名声へのあこがれ」 が強かった。
その名声欲が拭い去られたのが、30才代の頃に出会った澤木興道老師 (禅僧) の著作です [ 澤木老師は自ら著述なさっていらっしゃらないのですが、御弟子さんたちが澤木老師の法話などを筆記して書物になっています ]。そして、道元禅師の著作を夢中で読みました。坐禅も長らくやりました、近頃はやっていませんが、、、(「オレ も昔は大いにやった」 と言っている輩を 「昼行灯」 と云うそうです [ 苦笑 ])。道元禅師曰く──
愛名は犯禁よりもあし、
犯禁は一時の非なり、愛名は一生の累なり、
おろかにしてすてざることなかれ、
くらくしてうくることなかれ、
うけざるは行持なり、すつるは行持なり。
この戒めは修行僧に向けたのであって、一般の社会人が名声にあこがれるのを私は軽蔑している訳ではない──個人の生きかたの問題です、私は (若い頃 雲水 [ 僧 ] になりたいと思っていたのですが、) 出家しなかったので あくまで 社会のなかで自分がどう生きたいのかという ひとえに個人事です。社会の片隅で、貧乏ながらも ひっそりと学問している生活が私の性分に合っている──好事家でしょうね、だから僧になれなかった、、、。
(2019年 3月 1日)