< anti-computer-20190615
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I imagine, therefore I belong and am free. (Lawrence Durrell)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Imagination の中で、次の文が私を惹きました。

    Imagination and fiction make up more than
    three quarters of our real life.

    Simone Weil (1909-43) French philosopher.
    Gravity and Grace

 
 Imagination の語義 (Pocket Oxford Dictionary)──

 (1) the ability to form ideas or images in the mind
 (2) the ability of the mind to be creative or solve problems

 Imagination を広義に解釈すれば、我々の思考の 「すべて」 において生じていると言えるでしょうね。引用文では fiction とか real life と云っているので、imagination を believe (something unreal) to exist の意味 [ 「空想」 に近い意味 ] で使っているようですが、我々の身体 [ 眼球や脳 ] の構造が物理的に同じであれば、網膜に映る像は物理的には全員同じであるはずですが、めいめいの人が観た物事に対する印象は違っている。実物を観ても そういう現象が起こるのだから、況してや 文で記述された情報については、情報を読んだ めいめいが想像するものは違っている──視ることは思考することであると云ってもいいでしょうね。

 私は生理学者でも心理学者でもないので──私は システム・エンジニア です──、脳の作用とか精神の作用について全然わからないけれど、自分が生活しているうえで体験していることから判断すれば、私が過去に体験してきたことが私の思考に波及しているし、私の生活環境 (環境条件) が私の思考と相互に作用していることを認めざるを得ない。つまり、私は私自身の生活様式 (構成条件) を前提にして [ Frame of Reference にして ] 思考している。したがって、私の周りの物事を観て私が思考・判断することは 「すべて」 推測にすぎない。私は哲学を述べるつもりはないのであって、私程度の凡人が考えることなど、疾 (と) うの昔に デカルト が明らかにしています。標題の Lawrence Durrell の文 「I imagine, therefore I belong and am free」 は デカルト が述べた 「cogito, ergo sum コギト・エルゴ・スム (我思う故に我あり)」 の言い替えにすぎない。

 想像力が豊かな人は思考力も豊かであることは、上述したことから難なく推測できるでしょう。論文であれ文芸作品であれ思考の集成物ですが、つまらない作品は想像力が欠如している──そういう作品を読んでみて、まるで窓のない部屋のなかに閉じ込められたような息苦しさを私は覚えます。論理の集成物たる数学の証明式について私は数学の専門家でないので論理式が示す想像力を判断することはできないのですが、アルゴリズム (プログラム の ソース・コード) については エレガント な プログラム には この想像力を私は強く感じます。下手な論文を読むよりは秀逸な ジョーク を読むほうが思考力を養うにはいいと私は かつて言いましたが、冗談や皮肉で言っているのではない──秀逸な ジョーク は、思考力と一体たる想像力を問う。

 
 (2019年 6月15日)

 

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