Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Imperfection の中で、次の文が私を惹きました。
Even imperfection itself may have its ideal or
perfect state.
Thomas De Quincey (1785-1859) British writer.
Murder Considered as one of the Fine Arts
If we had no faults of our own, we would not
take so much pleasure in noticing those of others.
Duc de la Rochefoucauld (1613-80) French writer.
Maximes 31
Imperfect は、perfect の否定形で、その語義は faultry or imcomplete。ちなみに、perfect の語義は次のとおり (Oxford Pocket Dictionary )──
(1) having all the required elements or qualities
(2) free from any flaw
(3) complete
Perfect とは 「全き (完備性・健全性、欠けているものがない状態)」 ということかな。Perfect な状態として、なにかしら 「永久に持続する完備された [ 完成された ] 理想」 なるものを我々は ボンヤリと想像するけれど、そんな理想を いざ具体的に記述しようとしてみれば、毛頭 記述できない──つまり、perfect な人物・物事というのは、他の物事から隔離された印象 (頭のなかで思い描いた漠然とした [ 輪郭の はっきりしない ] 像) でしかない。
我々は、めいめい、長所と短所を持っている──長所が そのまま 短所になるし、短所が そのまま 長所になる。例えば、優しい性質が優柔不断にもなるし、勇ましい性質が粗野にもなる。すなわち、或る性質が或る状況 (他の人・物事との関係) において現れて、ひとつの印象となって他人に伝わるのでしょう。他と関係をもたない孤立した存在 (人物・物事) について絶対的性質を記述することは不可能でしょう (noncharacterizability)。だから、逆説として響くかもしれないけれど、「今、ここ (here and now)」 で生起している世界 [ 事態の集成 ] (と それに関与している人・物) が充足された状態であって、perfect な状態であるとも言えるでしょう。
私が 40歳代で作った モデル らしき技術のT字形 ER法 (モデル TM の前身) について、セミナー・アンケート のなかで次の質問が綴られていました──「(T字形 ER法は) いつ完成するのですか」。技術に完成などはない、もし完成したとすれば、それは その時点で過去の技術となって捨てられるでしょう。ひとつの技術は、その技術が使われる環境の変化に呼応して、常に改良されなければならない宿命をもっています [ T字形 ER法に対して そうした改良を施してきた モデル 技術が TM であって、TM も 当然ながら 改良を施されて進化し続けています ]。書物などの原稿も締切日があるので脱稿しなければならないけれども、書物になった形 [ 出版物 ] が (著作者の思想の) 完成形なのではない──歩み続けた途中の単なる一区切り [ 一里塚 ] にすぎない、著作者は更に歩み続ける。飽くなき推敲こそが perfect な [ 健全な ] 状態にあるということではないか。したがって、推敲を続けている人は 「完成形 (?)」 などを夢想しないのではないか。
(2019年 7月15日)