Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Inferiority の中で、次の文が私を惹きました。
I just met X in the street, I stopped for a
moment to exchange ideas, and how I feel
like a complete idiot.
Heinrich Heine (1797-1856) German poet and writer.
Autant en apportent les mots, (Pedrazzini)
No one can make you feel inferior without
your consent.
Eleanor Roosevelt (1884-1962) US writer and lecturer.
This is My Story
引用文の一番目は ハイネ (詩人) の ことば で、二番目は エレノア・ルーズベルト (文筆家、米国大統領 ルーズベルト の妻) の ことば で、二人とも著名な人物ですね。私は、ルーズベルト の ことば のほうに共感します。
私は過去を振り返って、劣等感を覚えたことがあったかを探してみたのですが、思い浮かぶようなことはなかった──私が他人に較べて優れていて他人より劣っているという感覚を抱かなかった (私はそんな自惚れたヤツではないですwww) ということではなくて、他人と較べるようなことをしなかったというだけのことです。私は 「自己中」 の性質が強いのか、他人のことには 全然 興味がない。私自身の力を以て コントロール できないことには はなから気を回さない自閉的性質が強いようです。
私のような凡人なんかよりも優れた人たちと今まで数多く会ってきましたが、そういう人たちを 「スゲー なあ」 と感嘆しましたが、そういう人たちと較べて劣等感を覚えたことはない。昔 (私が大学院生の頃)、広中平祐氏 (数学者) と小澤征爾氏 (指揮者) との対談集 (「やわらかな心をもつ--ぼくたち二人の運・鈍・根」)を読んで、とても影響をうけました──その対談集のなかで広中平祐氏は困難に直面して行き詰まったときに 「ぼく、アホ やし」 と言うことにしていると話していらした、「ぼく、アホ やし」 という ことば は、広中平祐氏が家庭教師をしていたときに教え子が言った ことば だそうです。その対談集を読んで以来、私も行き詰まったときに その ことば を言うことにしてきました──その ことば を言えば、ずいぶんと気が楽になった。ちなみに、私は その頃に、広中氏の しゃべりかたを真似していました。当時、広中氏は テレビ の CM に出ていて その CM のなかでの セリフ 「だんだん輝いてきたぞ」 という ことば を私は彼の しゃべりかた そっくりに真似て言うことができました (今、それを思い出して、久しぶりに真似て言ってみたのですが、似ていない [ 苦笑 ]。私は年取って声の質が変わってしまったのかしら、、、)。
他人と較べて優越感や劣等感を抱くことは品がない、と私は思う。他人が どう思おうと知ったことじゃない、よそ見しないで 自ら やりたいことを やればいいではないか──「お前の道を進め、人には勝手な事を言わしておけ」(ダンテ)、私は この ことば が大好きで座右銘にしています。私は、40歳の頃、モデル 論の学習に向かいました。高校生の頃、数学が大嫌いで [ 数学が苦手で ] 文系を選んだ文学青年が、40歳になって数学 (いわゆる 「数学基礎論」) を改めて学習しなければならなかった。私は高校生のときに数学の試験で 100満点中 6点という落第点を記録したほど数学が苦手でした。今思うと、そんな私が 40歳の頃に数学の学習を始めたというのは無謀といえば無謀な挑戦でした。その頃の悪戦苦闘は、本 ホームページ の あっちこっちで綴っているので ここでは割愛しますが、私は数学 (および哲学) に一直線に向かった。数理論理を学習しなければ仕事ができないので ひたすら それを習得することで精一杯でした。他人と比較して頭の出来が悪いなどと嘆く余力などあろうはずもない。比較する相手は、他人ではなくて 「昨日 (過去) の自分自身」 です──今まで学習・研究してきたことを更に一歩進めるための工夫を色々と考えていれば、よそ見する暇などないでしょう。
他人と比較して劣等感をもつのは自分自身について自信がないからだと云われることがありますが、自信というのは社会生活や仕事のなかで数々の失敗と成功を くり返した実績を拠 (よりどころ) にした実感 [ 自分の力や価値を確信すること ] なので、或る程度の人生経験がなければ生まれないでしょう。私は 40歳以前には文学・哲学に浸っていた文学青年だったので、他人のことは 「上の空」 状態でした──自らの精神を凝視することにしか興味がなかった。40歳の頃に数学を学習し始めたとき、数学が苦手だったので、学習を途中で投げ出さない自信など毛頭なかった。しかし、数学を学習しなければ仕事の技術 (モデル 技術) を改良していくことができない、だから 数学の学習をやらなければならなかった──成すべきことを為す、それだけのことです。ゲーデル 氏や広中平祐氏のような天才は除くとしても、私くらいの程度の凡人に較べて数学の技術が優れている人たちは たくさん います、では 私は彼らと比較して自らの数学技術の見窄 (みすぼ) らしさについて劣等感を抱いているか、、、否。私は (40歳をすぎた以後) 私の やりたいことにしか興味がない、仕事の工夫を絶えず計画していて、成すべきことを為すことしか考えていない。そういうふうにやってきたので、若い頃から今まで期せずして私は劣等感を免れたのだと思う。
(2020年 1月15日)