Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Infinity の中で、次の文が私を惹きました。
The Desire of Man being Infinite, the
possession is Infinite, and himself Infinite.
William Blake (1757-1827) British poet.
There is no Natural Religion
Infinity の語義は、the state of being infinite (limitless in space or size, very great in amount or degree)。日本語訳は 「無限」。「無限」 といえば、日常生活においては想像することができないし、私は どちらかといえば数学 (集合論) における 「無限」 を直ぐに思い浮かぶのですが、この エッセー では、数学的無限を除いて、「無限」 を 「際限がない」 という意味で日常生活のなかで考えてみます。
引用文の意味は、「我々の要求欲は際限がないので、所有欲は際限がないし、我々自身も際限がない」 ということでしょうね。William Blake 氏の著作を私は読んだことがないので、この引用文が どのような文脈で綴られているのか わからないのですが、彼が言いたいのは 「我々自身も際限がない (himself Infinite)」 ということでしょう。
若い頃 (30歳以前) には、自分自身の (人生の) 可能性について限界がないと考えるのは驕りではないと私は思う──若い頃から、自らの才量を見限って力を無意識に抑止するのは意気地がない。現代の日本の社会では、高校三年生のときに、人生の方向を大まかにきめなければならない制度になっていますが──たとえば、理系あるいは文系の進路をきめなければならないけれど──、多くの生徒は 20歳前に人生の進路をきめられるはずもない。私自身のことを言えば、数学が嫌いで文系を選んで文学をやりたかったのですが、大学は文学部を落ちて商学部に入って、好きでもない簿記会計を履修し、就職が怖くなって大学院 (財務会計論専攻) に逃げ込んで、修士を修了してから会計事務所で コンピュータ の プログラマー になって、好きでもない仕事に従事して まいにち が憂鬱で、とうとう退社して無職になって、それでも生活費を稼がなければならないので塾講師をやったりもしました。私は 30歳まで自分のやりたいことが皆目わからなかった、そして プータロウ の生活を送っていました。当時の社会制度は転職が自由ではなくて、敷かれた レール から いったん外れたら元に戻れない (敗者復活のない) 社会制度でした。
私の人生が大きく変わったのは、30歳代に ビル・トッテン 氏のもとで仕事したことでした──ひょんなことから RDB を日本に導入普及する仕事に従事することになった (RDB は、当時、米国で生まれて、日本には いまだ導入されていなかった [ 先例がなかった ])。日本に先例がなかったので、私は渡米して米国人たちから RDB の技術を習った。このときのことは本 ホームページ のなかで かつて述べているので割愛しますが、その後も PC・UNIX といった日本では (科学系の システム では使われていましたが) 事務系の システム では先例のない テクノロジー を導入普及する仕事に従事して、つねに最新の テクノロジー に携わることができて、私は ようやく仕事のなかに愉しみを感じるようになった──しかし、それでも そういう仕事は私の ほんとうにやりたいことではないという気持ちがあった。
そして、これも ひょんなことから 36歳のときに当時の ユーザ 企業から私は独立を勧められた──現代は独立開業が めずらしいことではないですが、当時、独立開業は なかなか難しかった。この辺のことも本 ホームページ なかで かつて述べているので割愛しますが、独立開業は私の意志ではなかった [ 自ら進んで独立開業した訳ではなかった、私は独立して事業を起こそう [ 興そう ] という気がなかった ]。私は事業をやるために独立開業したのではなくて、他人からの制約束縛をうけないで 「私のやりたいこと」 をやりたいがため独立開業しました──だから、現代の言いかたでいえば、フリーランス に近い。株式会社 SDI (法人) を設立してはいますが、法人を設立した理由は対 ユーザ 企業との「契約」 締結および私の 「資産管理会社」 として使うためだった。そして、私は 40歳頃から私の やりたいことしかやってきていない。ちなみに、私が独立したときに、上司の ビル・トッテン 氏は怒り心頭だったそうで (私は米国出張中に辞表を出したので彼とは会談しないままに退社しました) 独立後一年間 彼とは行き来がなかったのですが、一年後 互いの わだかまりも消えて会食しました。その時、ビル さんは三つの助言を私にくださった (それらの助言の一つは忘れてしまったので、二つを次に綴ります)──「マサミ は独りで仕事をしなさい (従業員は雇わないようにしなさい)。ピーター・ドラッカー も独りでやっている」「金儲けを考えるな (金儲けを一義にするな)」。私は ビル さんのもとで七年間仕事をしたのですが、ビル さんは私の性質を見事に見抜いていました──私には経営する側の性質がない (というか、そういうことには興味がない)、そして興味があることを徹底的に追究する性質が強い。私は ビル さんの助言を守って 66歳の今まで 30年のあいだ フリーランス をやってきました。
私は、40歳代・50歳代のとき、数学 (いわゆる 「数学基礎論 (現代集合論)」)・哲学の学習に専念しました──その学習成果が拙著 「論理 データベース 論考」「モデル への いざない」 です。あれほど数学を苦手で嫌いだった私が数学的性質の強い著作を執筆しました。私の人生を 今 振り返ってみれば、10歳代・20歳代の頃、数学が嫌いで文系的性質が強いと思い込んでいたのに、40歳代・50歳代の頃は数学 (および哲学) に傾斜しています。自らの才量を見限っていれば (私は文系であって理系ではないと思い込んでいれば)、私は 今 私の仕事にしている モデル 技術を作ることは 毛頭 できなかったでしょう。だから、自らの才量を若い頃から見限っている人たち [ 「自分は頭が悪い (才量がない) から、やりたいことができない」 と愚痴を言っている人たち ] を私は快く思わない──先ず やってみなさい、失敗したら失敗した理由を探って、更に工夫して再び やればいい。我々の才量は際限がないと私は思わないけれど、少なくとも それを見限ることは怠慢ではないか。
(2020年 2月 1日)