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Eaten bread is forgotten. (Thomas Fuller)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Ingratitude の中で、次の文が私を惹きました。

    Never look a gift horse in the mouth.

    Proverb

 
    And having looked to goverment for bread,
    on the very first scarcity they will turn and
    bite the hand that fed them.

    Edmund Burke (1729-97) British politician.
    Thoughts and Details on Scarcity

 
 Ingratitude は gratitude の否定形で、gratitude の語義は thankfulness とか appreciation of kindness。したがって ingratitude の日本語訳は 「恩知らず、忘恩」。引用文の一番目の意味は、「もらいもの の あら捜し [ 品定め ] をするな」ということ。そして、引用文の二番目を読んだとき、(Edmund Burke 氏の この書物を私は読んでいないので、彼の意図を推し量ることができないのですが) 直ぐに私は現代日本の生活保護制度・年金制度・介護保険制度を思い浮かべました。

 私が かつての生活のなかで とても恩義に感じたことは、2011年 3月11日に起こった東北大震災のあとで、私の会社 (株式会社 SDI) は大打撃をうけて仕事が皆無になったときに、友人たちが経済的に支援をしてくれたことでした。もし そのときに銀行から借り入れをしていたら ついには返済できなくて、会社は潰れていたでしょう。というのは、私は震災後の不況について高を括っていて、2年もあれば [ 長くとも 3年もあれば ] 会社は元に戻るだろうと思っていたのですが、会社が元の状態に戻るのに 5年も かかったので、銀行借入をしていたならば返済できない状態に陥っていたでしょう──しかも、もし長期の借入をしていれば、金利が かさんでいたでしょう、その 5年間には税金・社会保険料を滞納していた状態で会社には金銭がなかったので、銀行の有利子負債は 待ったなしに返済しなければならないのだから、会社は倒産していたでしょうね。友人たちの経済的支援がなかったら、会社は確実に倒産していたし、会社の倒産は同時に私個人の破産をもたらしていたでしょう。現在、私の会社が元の状態に戻ったのは、ひとえに、友人たちの経済的支援 (友人たちからの借入) の恩恵です。その借入は、現在までに半分を返済しましたが、まだ半分が未返済です──税金・社会保険料などの滞納を すべて支払って、それから友人たちへの返済をしていたので、SDI の収入が少ないときには ときどき 友人たちへの返済を待ってもらっていました [ 銀行からの借入では そういうことはできない ]。この恩は生涯忘れることができないし、この恩に いつか必ず報いたい。

 私の会社は、1991年に設立して、東北大震災の前までの 20年のあいだ堅調に運営できていました──バフル 崩壊のときでも過去最高益を更新して、リーマンショックのときも影響をうけなかった。しかし、東北大震災のとき、会社の財務状態は廃業間際にまで落ち込みました──初めて経験する困窮状態でした。SDI は、法人組織にしていますが、事業を興すために設立したのではなくて、私が好きなことをやるために (つまり、他人からの制約束縛をうけないで、私がやりたいことをやるために) 設立したのであって、どちらかと言えば、設立から今に至る 30年間、私は フリーランス に近い状態で仕事をしてきています。SDI は、契約をむすぶための体裁および私の資産管理会社としての組織でしかない──そのために、SDI は営業活動を 一切 してきていないし広告も 一切 打ってこなかった [ このことは、そういうことをしなくても仕事を やってきたという自慢ではなくて、私は客層を絞って仕事をしていたのです ]。コンピュータ 業界の動向には私は 一切 無関心のままに興味を抱いたこと (事業分析・データ 設計のための モデル 技術を製作すること、そのための学習 [ 数学・哲学・言語学の学習 ] ) のみに集中してきました。私は事業を営むことには 全然 興味がない。

 私は生活・仕事の目標を立てて邁進してきた訳ではなくて、その時々の興味に任せて まいにち を送ってきました。私が興味を抱いたこと (モデル 技術) を学習研究して、その技術が私の独りよがりの産物ではなくて他の人たちに役立つことを験証するために仕事をしてきました──技術を セールス するための広告は 一切 だしてこなかったけれど、技術を説明する セミナー は数多く やってきました。誰かが興味を抱いて懸命にやっていることを他の誰も興味を示さないということは先ず有り得ない、少数であっても必ず興味を示す人たちはいるでしょう。そういうふうに考えて、私は 37歳で独立開業してから 30年間 フリーランス に近い状態で仕事を続けてきました。

 そういうふうに生活を送ってきて、私は 今 66歳です、65歳から年金受給者になりました。私の世代 (男性 1961年以前・女性 1966年以前の生まれ) では、厚生年金には 「特別支給の老齢厚生年金」 制度が適用されていて、私は 65歳の年金受給時に通常の厚生年金のほかに 61歳から 64歳のあいだの年金を一括してもらいました [ 総額が数百万円に及ぶ額です ]。そして、通常の厚生年金のほかにも企業年金連合会からも年金を受給しています。さらに、「特別加給年金」(配偶者の年齢を加味した特別年金) が通常の厚生年金に上乗せされて受給しています。私の通常の厚生年金は たいした額ではないのですが、こういう特別な支給を通常の厚生年金に加算すれば、まいつき 生活してゆくには困らない額にはなります。加給年金は、妻が年金を受給するようになれば、私は もらえなくなるのですが、その年金は妻のほうに振替年金として加算されるので、家族としては年金は減らない。SDI が窮地に陥ったときに滞納していた税金・社会保険料の未払い額は多額だったので、未払いのままであったなら、私は年金を受給できていなかったでしょうね。年金制度は、現代日本の少子高齢社会では、財源が いずれ枯渇して、受給年齢が繰り下げられて受給額が減少すると言われていますが、たとえ受給額が減少しても、これほど利率のよい保険はないでしょう。

 私は、現在、年金受給者でありつつ働いているので社会保険料を払っているという生活を送っています [ 会社勤めをしていれば、厚生年金は 70歳まで払わなければならない (65歳以後に払っている保険料は、70歳になったら年金受給額に反映されます)]。逆に言えば、働いて金銭を稼ぎながら、その仕事とは関係なしに一定額の金銭 (年金) が自動的に入ってくるという生活です。年金を受給しつつ働いていれば、在職老齢年金の制限があって [ まいつきの年金額と給与を足して 47万円を越えたら、年金が減額される ]、給与を高くできない。不幸中の幸いだったのですが、SDI が窮地に陥ったときに私は そうとうな額を SDI に貸し付けていたので、貸付額を月割りで返済してもらうようにして、まいつきの給与は低く抑えています。つまり、給与所得は低いのですが、他の収入があるので贅沢をしなければ生活をしていくのに困らない。そして、SDI が もし再び窮地に落ちるようなことがあるとしても、年金を受給しているので、生活は破綻しない状態にはなっているということです。年金は不労所得だと私は考えています。不労所得の年金収入があるので、私は、会社の収入を懸念しないで、仕事として私の好きなことに集中できる。そして、私は今後も身心が倒 (こ) けないかぎり 75歳くらいまで仕事を続けるつもりです。私は貧乏ですが、フリーランス として貧乏は貧乏なりに 65歳をすぎても好きな仕事を継続してゆくための基盤をつくることができたのは、ひとえに友人たちの恩恵に負うこと大です──SDI が復活できたのは友人たちの恩恵の賜物です。

 友人たちの恩に感謝しつつ。

 
 (2020年 3月 1日)

 

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