Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Insults の中で、次の文が私を惹きました。
Sticks and stones may break my bones, but
words will never hurt me.
Proverb
If there is anyone here whom I have not insulted,
I beg his pardon.
Johannes Brahms (1833-97) German composer.
Said on leaving a gathering of friends
Brahms (P. Latham)
An injury is much sooner forgotten than an insult.
Earl of Chesterfield (1694-1773) English statesman.
Letter to his son, 9 Oct 1746
It's too late to apologize.
Arturo Toscanini (1867-1957) Italian conductor.
Retort to the insult 'Nuts to you!' shouted at him by a player
he had just ordered from the stage during rehearsal
The Humor of Music (L. Humphrey)
You have Van Gogh's ear for music.
Billy Wilder (Samuel Wilder; 1906- ) Austrian-born US film director.
Said to Cliff Osmond
Attrib.
Insult の セクション には多くの引用文 (46編) が記載されています。私が ジョーク 集・批評文などの英文を読んでいて感じるのは、英語は日本語に較べて insult (侮辱、皮肉、攻撃、罵倒) などの語彙・表現が豊富であるということです。そういう語彙・表現が英語に多い理由は私には わかりませんが、そういう表現を読んでいて とにかく面白い。
さて、本 エッセー の引用文として選んだ 5編は、(諺をのぞいて) そうそうたる著名人 (ブラームス、チェスターフィールド、トスカニーニ、ワイルダー) の ことば です──著名人は とかく攻撃の対象にされるのでしょうね。
引用文の 1番目 (諺) 意味は、簡単に言えば、You can say whatever you like. You can't hurt me. または I don't care a bit what names they may call me. もしくは They can say anyting bad about me that they want, it doesn't bother me a bit.
引用文の 2番目 (ブラームス 氏の ことば)、友人たちの集まりのなかで ブラームス 氏が批評しなかった人──すなわち、批評に値しない人──がいたということかな、どういう友人たちの集まりだったのかは、この文だけでは わからないのですが、作曲家の ブラームス 氏の友人たちということは音楽関係の人たちが多くいたのではないかしら、そして ブラームス 氏は友人たちとの会話のなかで たぶん人物批評 [ 友人たち──たぶん音楽批評家たち──の音楽的才量などの批評 (酷評)] をしていたのではないかしら、そうだとすれば ブラームス 氏が去るときに言った ことば は とても辛辣ですね、彼の批評対象にならなかった友人たちは全体の ほとんどすべて だったのではないか。批評の対象になるということは、それだけ人目につく才量があるということなのですが、ブラームス 氏を 日頃 批評している友人たちの ほとんどは (自分たちが他人を批評できる才量を持っていると自認していても) ブラームス 氏から彼らを見れば彼らの音楽的才量など透けてみえる。世界中で批評の対象にされている天才の ブラームス 氏が彼を批評する人たちを逆に批評するのだから彼らに対する痛烈な皮肉となるwww。ちなみに、私は ブラームス 氏の音楽 (交響曲と ヴァイオリン 協奏曲) を好きです。
引用文の 3番目 (チェスターフィールド 氏の ことば) は、チェスターフィールド 氏 (18世紀の政治家) が息子に送った (贈った?) 手紙の出版物から抜粋した文です──世界中で この手紙集は最良の人生論と云う評価が高く、日本語訳本として 「わが息子よ、君はどう生きるか」(三笠書房) が出版されています。私も若い頃に翻訳本を読んで感銘をうけました。この引用文は、「ジーニアス 英和大辞典」 に そのまま記載されていて、「障害は侮辱よりも早く忘れられる」 というふうに訳されています。その意味を逆に言えば、「侮辱は なかなか 消えない」 ということですね。確かに、わが身を振り返っても、私は若い頃に公然と面前で侮辱されたことを今も覚えている。でも、私が忘れられなかった侮辱というのは数が少ない──私は侮辱されても それを侮辱と感じない鈍感さがあるのでしょうwww。私は相手を酷評するときには相手を容赦なく罵るので、私が高徳の人物という訳でない。
引用文の 4番目 (トスカニーニ 氏の ことば)、トスカニーニ 氏は (フルトヴェングラー 氏と並んで) オーケストラ 指揮者として 20世紀の最高指揮者というふうに評されています。彼の リハーサル は とても厳しくて、楽団員たちは彼のことを 「トスカノーノー (No No)」 と陰で言っていたそうです。その彼に対して 「Nuts to you! (くたばっちまえ [ ばか言え ])」 と言った楽団員も スゲー度胸があると思うけれど、トスカニーニ が言い返した ことば が 「too late to apologize (謝っても、もう手遅れだけどね)」──トスカニーニ 氏に こう言われたら、さすがに ビビるわあ、、、。そう言えば、私が小学六年生の時および高校生の時、授業中に教師が言ったことに私が ジョーク を返したら、「(教室から) 出て行け!」 と怒鳴られたことを思い出しました──それらの場面が 今 はっきりと生々しく目に浮かびました。小学生の時と高校生の時の二回も同じようなことを やらかしているので、私は優等生ではなかったし きっと 教師から嫌われる性質をしていたのでしょう (教師から 「出て行け」 と言われても、私は教室から出て行かないで平然と居座っていたという ふてぶてしい ヤツ でしたwww)。
引用文の 5番目 (ワイルダー 氏の ことば)、ワイルダー 氏と クリフ・オズモンド 氏の二人の関係は ここでは割愛して、ワイルダー 氏が オズモンド 氏に言った ことば は辛辣ですね (ただ、敬愛の情も ふくんでいますね)──「君は、音楽に対して ゴッホ の耳を持っている」 と。その意味は、「或る分野では天才だが、他の分野では 木偶の坊」 ということ。そう言えば、カラヤン 氏 が バッハ の音楽に取り組んだとき、「不幸な愛」 というふうに音楽評論家から酷評されていたことを思い出しました──カラヤン 氏の片思いということですね。私は カラヤン 氏の指揮を好きではないのですが、彼が偉大な指揮者であることは彼の実績が示しています (私のような音楽の シロート が どうこう言えることではない、私が言えることは せいぜい 好きか嫌いかという じぶんの好みだけです)。
私のような程度の凡才でも、講演をするたびに、そして著作を出版するたびに、酷評されてきました。私は 30歳代から今まで (もうすぐ 67歳) ずっと非難され続けてきました。だから、批評 (侮辱、皮肉) というものが どういう性質なのかを 或る程度は知っているつもりです。批評される人は、批評する人の批評文を読んで彼らの才量を きっちりと量 (はか)っています──批評される側は口に出さないだけです (批評される側であるということを覚悟している [ 心得ている ])。現代は SNS において、アップロード された他人の意見・動画に対して だれでも コメント を綴ることができる時代です──そして、批評家雀 (すずめ) が たんと出てきたwww。その結果、酒の席での戯言みたいな コメント が堂々と公 (おおやけ) になる。さしあたり 本 エッセー も その類いでしょうね (苦笑)。
(2020年 5月15日)