× 閉じる

An intellectual is someone whose mind watches itself. (Albert Camus)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Intellect の中で、次の文が私を惹きました。

    The higher the voice the smaller the intellect.

    Ernest Newman (1868-1959) British music critic.
    Attri.

 
    Intellect is invisible to the man who has none.

    Arthur Schopenhauer (1788-1860) German philosopher.
    Aphorismen zur Lebensweisheit

 
 Intellect の語義は、the power of reasoning and understanding objectively (Pocket Oxford Dictionary )──日本語訳は 「知力、知性、思考 (理解) 力」。

 会議では声の大きい ヤツ の意見が通ると云われていますが、確かに ほどほどの論拠 [ きちんとした理由づけがないけれど、そうかと云って あながち すべてが間違っているという訳でもない曖昧な論拠 ] であっても大きな声で自信たっぷりに話せば賛同を得やすいでしょうね──なぜなら、それを聞いている人たちも確固とした論拠をもっている訳ではないので。たとえ理論的に 多少 齟齬があっても自信に満ちた口調には我々は惹かれるのではないか。論理 (数学的公理系) の世界では曖昧さや矛盾は許されないけれど、日常の生活では不確実性の事柄が多くて そもそも 「実際にやってみなければ どうなるか わからない」 というのが実態ではないか──どうなるか わからないことについて、論理を使って或る程度の説明ができれば それでよし とするというのが我々の生活実態でしょう。それが実態であれば、ほどほどの論拠であっても、論拠を説明するときには声が大きくて自信を感じさせるほうが、小さな声で理路整然と話すよりも ウケ るのは当然でしょう。物事を説明するときに声が小さい人を私は好きではない。ただし、或る程度の論拠に立っていないで ただただ 声の大きさのみで自信を抱いているよう見せかけて討論を押し切る ヤツ は論外です──引用文の一番目は、そういう輩を皮肉っているのでしょう。

 引用文の二番目は ショーペンハウアー 氏の ことば ですね。その ことば を直訳すれば、「知力は それを持たない人には視えない」 と──なんとなく わかる気がするけれど、知力そのものは そもそも 不可視な (存在するが説明できない、あるいは説明できないが存在する) ものでしょう、それが可視できるということは人の態度 (振る舞い) のなかに知性が現れるということではないかしら。今回の武漢肺炎 (COVID-19) の世界的騒動の渦中で、マスコミ (テレビ 報道、新聞報道) および政治家 (野党) に対する不信感を私は いっそう強く抱くようになりました──マスコミ の報道が虚偽・隠蔽・改竄に満ちている、それを知ることができたのは ネット (WWW・SNS) 上に発信される 「一次情報」 の恩恵です。報道記者の色眼鏡を通さないで、「事実」 を直接に写した動画が ネット 上に アップロード され、そして取材ではマスコミ が事前に仕立てあげた ストーリー にとって都合のいい部分だけを切り取って報道したことに対して、取材された人たちが取材された中身を ネット 上に アップロード して彼らの発言が マスコミ に切り取り悪用されたことを発信している。マスコミ が意図的に やらかしている虚偽・隠蔽・改竄は、報道としては一ばん唾棄すべきことであって、知性のかけらもない──マスコミ に知性をもとめるのは、そもそも 無駄なことかなwww、作家崩れの臭みが漂う journalese が知性の欠落を顕している。ただ、古新聞は便利なものです──読むことだけはできないけれど、猫の小便 (砂を敷きつめた猫用の トイレ の上に猫が小便をして固まった砂) を包んで捨てるには有用です [ 私は新聞を購読していないので、カミサン が どこからか古新聞をもらってきています ]。ネット 上にも虚偽・パクリ・誹謗中傷などが数多く アップロード されているけれど、ネット の一番の良い点は 「一次情報」 が発信されているということでしょう──「一次情報」 について、それを盗用して改竄・捏造した贋物が 多数 散在していますが、或る程度の時間を費やして ネット 上を丁寧に調べれば 「一次情報」 を見つけることができます。

 Internet が コミュニケーション の大きな手段となった現代では、ネット 上の 「真偽顛倒、玉石混淆」 の状態のなかから珠玉を探し出すことは知性の一つではないか。そのことは Internet がない時代にも テレビ 報道・新聞報道に対しても言えたことですが、Internet が普及した現代では、記者の bias をうけない 「生 (なま) の」 情報を得ることができるし、時事解説についても テレビ 局・新聞社が選んだ数少ない専門家たちのみが述べる意見のほかにも、ネット 上では数多くの専門家たちの意見を知ることができる──ネット 上の膨大な情報に対して、自分が何について興味を抱き、その興味にしたがって集めた情報を 「読める力」 「整理する力」 そして 「統合し判断する力」 が 益々 問われる社会になったのではないか。そして、それらの力こそ知力というものではないか。

 
 (2020年 6月15日)

 

  × 閉じる