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He needs no introduction to the music-loving public.

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Introductions の中で、次の文が私を惹きました。

    Do you suppose I could buy back my
    introcution to you?

    Groucho Marx (Julius Marx; 1895-1977) US comedian.
    Monkey Business

 
 引用文の意味は、「あなたへの面通し [ 紹介、仲介 ] を撤回できると(あなたは)お思いですか」かな。この文だけでは、まったく意味がわからない──この文に対する返事としては、肯定(撤回できる)・否定(撤回できない)のふたつとも想像できますね。ただ文調としては、否定の「そんなことは、できやしない」というニュアンスが強いかもしれない。ちなみに、Monkey Business は、「不正行為、いんちき、(商売上や性的な)いやがらせ」ということ。

 たぶん、いかさま(詐欺)なんかでは、こういう反語的言い方を使って、逆に信用させようとするのかもしれない──たとえば、「俺が そんな(不誠実な) ヤツ だと思っているのか (君にそう思われているとしたら、俺は とても悲しいよ)」とか。本来なら説明責任を負うはずの人 (すなわち詐欺師) が開き直って逆に 相手に対して「君が もし そう思っているとしたら、君は下衆 (げす) い ヤツ だ」というふうに相手に罪意識を感じさせて説得しやすくする常套手段ですね──そう言われたら、相手は下衆い ヤツ と思われたくないので、戸惑いがあるにもかかわらず、「いや、そうじゃない (私は下衆い ヤツ じゃない)」というふうに、詐欺師の説得に傾かざるを得ない。詐欺の手口は、事実および論理に則って説得しようとすれば自ら破綻するので、いつもきまって感情を揺さぶるように訴える。だから、susceptible to suggestion な (暗示にかかりやすい、多感な) 人ほど、この罠にかかりやすいのでしょうね。私のような理屈っぽい ヤツ は、相手の論法を追っている──サッカー の デフェンス 選手が言っていましたが、「1 対 1 での デフェンスでは、相手の動きを観ないで (相手の見せかけの動作に引っ掛からないように)、ボール を しっかりと観ている」 と。

 事実および論理を軽視して情緒に訴えるのは卑しい やりかた だと私は思うけれど、不特定多数あるいは大多数の人々を動かすには いちばんに ききめ があるということを いかさま師は見透かしているのでしょう。雄弁術や政治家の演説などに少なからず胡散臭さを私が感じるのは、そのためです──そうは言いながらも、私自身も、講演や セミナー の講師をしていて、聴衆の反応が いまいち のときに、講演・セミナー が終わりに近づくにつれて、聴衆の情緒を揺さぶって高めていくように仕込むことが往々にしてあります (苦笑) [ 言い訳するつもりはないけれど、そういう姑息な やりかた をしている他の講師 (数名) を私は視聴したことがある ]。

 論理 (数学) の世界では、論理を使わないことは そもそも あり得ないことだし、論理の破綻は 即 落第の極印を打たれるけれど──感情の入る余地はないのですが──、日常生活では感情 (情緒) が必ず絡んでくる。日常的な論理では、論説が無矛盾であるかどうかということは、さして大事ではない、その論説が他の人々を動かすか動かさないかが大事なのである [ 論説が無矛盾であるということは、その一つの要件にすぎない、しかも絶対的要件とは思われてはいない ]。いかさま師とは、そのことを知って、そのことを 99% 活用できる人を云うのでしょうね── 100% ではない理由は、いかさま が いずれ バレ ることが多いので。そして、私を うまく騙していると思っている ヤツ の ウラ をかいて逆に騙すほど愉快なことはない。

 
 (2020年 8月15日)

 

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