Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Jealousy の中で、次の文が私を惹きました。
The secret of my success is that no woman
has ever been jealous of me.
Elsa Maxwell (1883-1963) US songwriter, broadcaster,
and actress.
The Natives were Friendly (Noel Barber)
O, beware, my lord, of jealousy;
It is the green-ey'd monster which doth mock
The meat is feeds on.
William Shakespeare (1564-1616) English dramatist.
Othello, V:3
嫉妬の語義を調べたら、次のように記述されていました(「広辞苑」)──
(1) 自分より すぐれた者をねたみ そねむこと。
「弟の才能に嫉妬する」 「出世した友人を嫉妬する」
(2) 自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。また、その感情。
「妻の嫉妬」
(1) は才量について感じる妬みで、(2) は愛情について感じる妬みですね。
生活の中で嫉妬を感じない人は、よほどの例外 (たとえば、世俗と断絶した宗教家とか) を除いて、いないのではないか。私自身のことをいえば、若い頃 (20歳代・30歳代) には、恋愛中に いくどか嫉妬 (強い嫉妬) を抱いたことは記憶しています。自分が直接関係している事象 (仕事、恋愛) に他人が関与していれば、そして その他人が自分と較べて やや才量がまさっているか先んじていたときに──言い替えれば、自分が成れると思っている位置 (立場) に他人が すでに成っていて、自分が いまだ成っていない (あるいは、成れない) 状態にあるときに──嫉妬が生じるのではないか。嫉妬には、相手に対する羨望よりも寧ろ自尊心 (自尊心が損なわれること) が多くふくまれているのではないか。たとえば、作家は作家を妬み、文学青年は文学青年 (あるいは、作家) を妬み、プログラマ は プログラマ を妬む──プログラマ が作家を妬むことは起こらないでしょう、もし プログラマ が作家を妬むとすれば、それは プログラマ が作家になりたかったのに、なんらかの理由で作家になることができなかった場合でしょうね。
私は、若い頃 (大学生の頃)、作家 (小説家) になりたいと思っていました。大学の入学試験では、志望学部であった文学部を落ちて、大嫌いな商学部しか合格しなかった──金銭なんか汚いと思っていた文学青年が商学部を受験した理由は、父親の反対を押し切って (東京の大学の) 文学部を受験したので、父親が 「親の頼みを1つだけきいてくれ」 と切望して商学部も受験することにした次第です (文学部と商学部の両方に合格した場合には、父は私を説得して商学部に行かせるつもりだったのでしょう)。嫌いな商学部に入学したところで学生生活がたのしい訳はない、幸いか不幸か 当時 学生運動が激しいときで、学校は ほとんど ロックアウト された状態だった。私は、3畳一間の下宿で文学書・哲学書の読書三昧だった (3畳一間、共同便所、風呂なしという下宿が 当時 ふつうだった)。大学を卒業したら地元 (富山県) に帰るという父との約束をしていたので、4年生の夏に地元の銀行に内定したけれど、1ヶ月もたたぬうちに内定取消を私のほうから銀行へ伝えました。就職するのが怖かった、そうかといって貧乏を覚悟して作家になるほどの根性もなかった、その妥協策として私は大学院に逃げ込んだ (会計学を学習したいがゆえに大学院に行った訳ではない)──この頃の事情については、かつて 本ホームページ で綴っているので、割愛します。
さて、作家になることを夢見ていながら、そこに進む根性がなくて、それでいて就職も嫌って大学院に逃げ込んだ ヤツ の行く末なんて碌なものじゃない──大学院での学習なんか身が入らず、そうかといって作家になる修練もしない。それでも、文学書・哲学書は いちおう 読んでいて、文学青年気取りだった。新進作家の小説を読んで、いっちょうまえの口をきいて、貶 (けな) す。それは、明らかに嫉妬からでた ねたみだった。そういう ひがみは、30歳代半ばまで続いた (大学院修士を修了したあと、私は転職を六回ほど くり返しています──無職の状態もあった)。
嫉妬がふっきれたのは、私が 40歳頃になってからのことでした。40歳頃というのは、本 ホームページ のなかで いくどか綴っていますが、私が モデル 論の学習・研究に向かいはじめた頃です。私は、30歳代に データベース 技術 (リレーショナル・データベース 技術) を学習しましたが──当時、リレーショナル・データベース は世界で初めて登場して、日本では先例のない データベース だったので、私は米国人たちから直接に指導をうけましたが──、勿論 私だけが データベース 技術を学んだ訳ではないのであって同僚たちも学んでいて、技術的には大した プログラマ でもない私なんかよりも彼らのほうが 断然 上 (うえ) でした。彼らのなかには、OS をいじれる凄腕の プログラマ も数名いました。彼らと較べたら、私なんか足元にも及ばない。そういう同僚たちの才量と比較して私は嫉妬を感じるはずの状態にいたのですが、ふしぎに私は嫉妬を感じなかった。社長は、凄腕の技術者を集めた 「特殊部隊 (6名)」 を マル秘で指名していたのですが、6名のうち 5名は凄腕の プログラマ でしたが、1名だけ プログラマ ではない ヤツ が混ざっていた──その 1名が私でした。どうして私が 「特殊部隊 (6名)」 のなかに入っていたのかを知る由もないのですが、私は自らを プログラマ や システム・エンジニア だとは思っていなかったので、逸才の彼らと比較することがなかった──それが嫉妬の起こらなかった理由だったと思う。
私は、40歳になって、モデル 論の学習・研究をはじめましたが、私が学習・研究したのは (事業分析・データベース 設計のための) モデル 技術 [ 論理的意味論の技術 ] だったので、当時 (たぶん、今でも) それと比較できる技術が存しない──ほかの技術は記述的意味論の技術であって、比較することができない (世間では、TM と他の技術を比較しているようですが、「前提」 の まったく違う技術 (論理的意味論と記述的意味論) を比較しても、喩えれば 数学と文学を比較するようなことであって、どちらの技術がすぐれているとかというのは 土台 無意味 (ナンセンス) です。それが故に私は他の技術に対して嫉妬を覚えるというようなことは体験しなかった。
恋愛にまつわる嫉妬については、私も 20歳代・30歳代には いくどかあったと前述しましたが、これは あまりにも個人事なので、公にすることはしない。恋愛にまつわる嫉妬について ただ言えることは、嫉妬は自分を損なう (ときには、破滅に近い状態に陥る)──引用文の二番目は、それを記述しています (この文は シェークスピア 作 「オテロ」 に出てくる セリフ です、私は 当時 そういう状態にあったので、「オテロ」 を夢中で読んだことを覚えています)。ちなみに、the green-eyed monster (嫉妬、ねたみ、やきもち) という英単語がありますが、「オテロ」 の この セリフ が由来です──引用文の意味は、「嫉妬は緑の目をした怪物で、餌食として人の心をもてあそぶ」 ということ。
賢い男が恋愛の嫉妬に駆られて キャリア を だめにした例を私は かつての職場で いくつか目にしています。嫉妬は、他の体験とは違い、一回体験したら、二度目は回避策を講ずることができるというものじゃない──過ちは二度と くり返さないという学習ができない。怒りを抑える技術は、或る程度、訓練すれば習得できるのですが、嫉妬だけは そうはいかない。唯一の回避策は、嫉妬が起こるような状況に身を置かないということかもしれない──すなわち、俗世を離れる (出家する) ということですが──西行法師が出家した理由は、身分違いの高貴な女性に対する恋愛感情を断ち切るためだったという説もありますが──、そんなことは我々のような普通の世俗人には無理でしょう。俗世を離れることができないのならば、嫉妬の底の底まで沈んで [ 嫉妬の根本理由を凝視して ]、そして考えつぶれて寝ればいい。それを何日も くり返していれば、やがて嫉妬も (消えないとしても) だいぶ やわらぐでしょう。とにもかくにも、嫉妬は自分を損なうけれど、生活してゆくうえで避けられないのであれば、それを やわらげる術 (すべ) を自分なりに工夫すべきでしょうね。嫉妬を抑えようとすれば、逆に それは 益々 増大するでしょう。抑制しようと抗わないで、赤裸々に (自分自身に) さらけ出して凝視すれば、たとえ癒やされはしないまでも、やわらげられる──私は (自らの体験を振り返って) そう思う。事態と向きあわなければ 事態に対応できない、そして 対応できないまま激しい感情に流されて事態が悪化してゆくのは、嫉妬にかぎったことではないけれど、そうやって自らの生活を損なうのは悔しいではないか。
(2020年10月 1日)