Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Judgment の中で、次の文が私を惹きました。
Judge not, that ye be not judge.
Bible: Matthew 7:1
No man can justly censur or condemn
another, because indeed no man truly knows
another.
Thomas Browne (1605-82) English physician and writer.
Religio Medici, Pt. U
Judge not the play before the play be done.
John Davies (1569-1626) English jurist.
Respice Finem
Consider what you think justice requires, and
decide accordingly. But never give your
reasons; for your judgement will probably be
right, but your reasons will certainly be
wrong.
Lord Mansfield (1705-93) British judge and politician.
Advice given to a new colonial governor
Lives of the Chief Justice (Campbell), Ch. 40
上記の引用文のいずれもが、早急な判断を戒めていますね。賢人たちのこういう箴言は とても有益です。私は判断 (決断) するのが極めておそいほうです。でも、私が決断するのがおそい理由は、賢人たちの箴言を倣 (なら) っているのではなくて、私の性質が決断を引き延ばす傾向が強いからです。私は いわゆる procrastinator です。もっと正確に言えば、私は、(判断しなければならない) 事態が生じたときに、判断を いったん下すけれど 心の中に とどめておいて、事態に対応する行動を すぐさま起こすのではなくて、なんらかの行動をしなければならない ギリギリ まで その判断を猶予することが多い。そして、もうこれ以上 判断を延ばすことができないと思われたときに、そのときに心の中に浮かんだ決断に従います──その決断は当初に考えた判断と同じであることもあれば、それとは若干違うこともあれば、全然 違うこともある。すなわち、私は追い込まれなければ──尻に火がつかなければ (笑)──行動を起こさない、という性質が強いようです。ただし、自己弁護をすれば、外見上 何もしていないように見えるけれど、私は無為に過ごしている訳ではなくて、当初に下した判断と その後の事態の成り行きを見守って、事態の変遷に対応して当初の判断を修正しています。考えることを仕事にしている人たちは、たいがい、そういう性質が強いのではないか。
私は、かつて 9冊の書物を執筆してきました。そのいずれもが 「締切日」 がなければ、けっして ひとつの形 [ 思考の ひとつの まとまった体系 ] にはならなかったでしょうね。執筆中には、当初に抱いていた着想が次第に変わっていって、出版された書物は原案とは だいぶ 違っています。日ごろ常に考えてきた探究 テーマ であっても、そういう結果になる。況してや日ごろ常に考えていないような物事についての判断などは言うに及ばず (的確とは言えない)。したがって、「速断」 と呼ぶに値するのは、日ごろ常に考えていたことが たまたま 適用できる事態として起こったとき、そのときに限られるのではないか。そうでなければ、「速断」 は、単なる せっかちな判断にすぎない。
(2020年11月 1日)