Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Justice の中で、次の文が私を惹きました。
The love of justice in most men is simply the
fear of suffering injustice.
Duc de la Rochefoucauld (1613-80) French writer.
Maximes, 78 U
Justice の セクション には、24編の文が記載されていたのですが、私の興味を惹いたのは、上記の 1編です──この引用文の意味は、「Justice の愛、多くの人たちが抱いている この愛は、単純に injustice (の苦痛・損害など) を蒙ることの恐れである」。Injustice については、以前の 「反 コンピュータ 的断章」 で私の意見を述べています。
私の個人的な感覚ですが、justice というのは equality あるいは fair and reasonable だと私は思っています── reasonable は、勿論、reason を使うことができるということ。Justice は、「正義」 というふうに訳されるようですが、do justice to という使いかたに示されるように、「equality (対等、あるいは、そのものがもつ価値を正当に評価すること)」 や fair (公平さ) を与えることに近い概念でしょう。Justice ついては、哲学・宗教の大きな論点になっている (theories of justice) ほどの debatable な問題なので、私のような哲学・宗教の門外漢が専門的な学説と論点を調査して それらを前提にして私論を述べることは無理なことでしょう──或る程度の年月を それに費やすことができるのなら、或る程度の私論を述べることができるでしょうが、私は私なりの専門領域 (学習研究の領域) をもっているので、justice を専門に探究する余裕はない (哲学の専門家でも、そうでしょう)。だから、私が今までの生活のなかで感じてきた 「常識 (論理、思考力)」 を元にして意見を述べています。
Justice を巡る社会的事象は 現在 数多く起こっていますが──否、正確に言えば、社会的事象は つねに justice をぬきにして語ることができないのですが──、今 私の興味を惹いているのは 「アメリカ大統領選挙」 を巡る社会的事象です。その選挙そのものについて私は興味があるのではなくて、media の報道について興味をもっていて、YouTube で それぞれ (左派と右派) の報道を視聴しています。日本の報道では、CNN (左派) の報道を ただ口移ししているだけだそうですが──私は (日本の) テレビ・新聞を見ないので、実際に そうなのかどうかを知らない、WWW や SNS に アップロード された意見では そういうふうに記載されていましたが、私自身は彼らの言うことについて F-真 (事実的な真) を確認した訳ではないので、もし彼らの言うことが事実であれば、ということで私の意見を述べるのなら──、newsmax などの右派の報道を情報源にしている日本の報道は存しないのかしら。「左派だから視聴しない、右派だから視聴しない」 というような one-sided な態度を そもそも私は嫌いです──両方を視聴して自身で判断すればいい、と私は思っています。この選挙について、左派・右派の報道を私が視聴していて感じた点は、左派 (CNN、MSNBC など) の報道は、go too far in their zeal かなということです。実際、11月 9日以後、この選挙について、CNN の報道 (不正があるというのは nonsense であるとの報道) とは違って、「不正」(fair でないこと、injustice) があったということが 世上 問題になってきました。
マスコミが中立であること──マスコミが データ 収集 (あるいは データ の拾捨選択)・報道のしかたにおいて中立であること──など そもそも 不合理であると私は思っています。だから、それぞれの報道機関は、それぞれの意見を述べればいい、と思っています。そして、たとえば政治であれば、左派と右派の言い分を我々は それぞれ 視聴して、そして判断すればいい。自らの知っていることが 1つの報道機関の述べている そっくりそのままのことであるというような状態では その人は思考を停止しているのではないか。大統領選挙の報道を私は視聴してきて、タッカー・カールソン 氏 (Fox News 社の journalist、右派) が述べた次の ことば を気に入っています──「自由社会では自分の正当性を納得してもらうことで勝つことが必要である」 と。そして、そういうことが成立する前提として、justice (equality あるいは fair and reasonable) が要請されているのでしょう。
(2020年11月15日)