Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Liberty の中で、次の文が私を惹きました。
Liberty means responsibility. That is why most men dread it.
George Bernard Shaw (1856-1950) Irish dramatist and critic.
Bloomsbury の引用句辞典 (1990年出版) には、Liberty についての引用文が意外にも二つしか記載されていなかった──Liberty という観念は、sin (宗教上・道徳上の罪) と並んで、欧米思想の中核となる観念だと私は思っていたので、引用文が二篇しか記載されていなかったことに私は驚いています (その二篇のうちの一つを本 エッセー では選びました)。ちなみに、私が使用している他の引用句辞典 (The International Theaurus of Quotations、Crowell 社、1970年出版) では、liberty は 57篇 記載されています。Bloomsbury の辞典にも これくらいは記載されているだろうと私は予想していたのですが、二篇しか記載されていないというのは編集者たちの なんらかの意図があるのかしら、、、。
英語の liberty は、日本語では 「自由、解放」 と訳されています。その反対語は captivity (監禁状態、束縛) です。Liberty の類語には freedom がありますが、この二つの類語の ニュアンス の違いが私には わからない── たとえば freedom of speech を liberty of speech と言い替えることができるし、liberty of choice を freedom of choice とも言えるので (これらの使用例は、「新編英和活用大辞典」 に記載されていました)、freedom と liberty の使い分けが私には わからない。その点をご承知のうえで 本 エッセー を読んでください。ちなみに、freedom については、「反 コンピュータ 的断章」 で かつて綴っているので、読んでみてください。Freedom について かつて (三年半ほど以前に) 述べた私の意見は、あれから年月も それほどたっていないので今でも変わっていない。だから、liberty についても、同じような意見を述べることになってしまうでしょう。同じ意見の繰り返しは嫌なので、今回は、freedom について述べた 「解放」 とは違う観点 (私の独立開業の体験) から述べてみます。
私が独立開業した年齢は 37歳でした、当時は独立開業することが今ほど普通ではなかった──当時の商法は、ちょうど改正された頃で、株式会社の最低資本金が 1,000万円と規制された (資本金を 1,000万円にするための経過措置として、資本金 500万円で会社を設立して、その後 5年以内に 500万円を増資するということもできました)。増資していくのが面倒くさいので私は 1,000万円で設立することにしたのですが、37歳の私には 1,000万円を用意するのは難しくて 510万円 (つまり発行株式の 51%) を私の貯金から用意しましたが、足らない分は共同設立者 (私の当時の秘書) と親族二人から調達しました (現在では、最低資本金制度は撤廃され、資本金 1円でも会社を設立することができます)。
以前の エッセー のなかで私は 「独立」 する気がなかったことを述べています。私は、当時、社長 (ビル・トッテン 氏) の庇護をうけて組織のなかで そうとう自由に振る舞っていたので なんら会社に対して不満を感じていなかった──私は平社員であったのに、社長室のなかで (パーティション で区切った) 広いスペースを占有し、応接 セットや冷蔵庫が設置されていて、(私は平社員にもかかわらず) 秘書までつけてもらっていましたし、会社への出勤は一ヶ月で数回ほど (主に月曜日に出勤して) 他の平日には在宅勤務していました [ 当時は テレワーク など勿論なくて、私の独断で在宅勤務していました www ]、そういう我が儘を許されていたのは それ相応の仕事が社長から要請されていたからです (その仕事については ここでは割愛します)。そういう恵まれた状態にいたので、「独立」 するために資本金を 1,000万円も用意して会社を設立する (そして、設立後には仕事の契約を自ら継続的に獲得しなければならない) リスク をとるなどということを考える気もなかった。しかし、私は 「独立」 しました。
当時 (独立開業する前) の私は、組織 (会社) のなかで平社員でしたが信じられないくらい自由に振る舞えていましたし──ただし、他の社員たちから私の我が儘を非難されていることは重々承知していました──、私に与えられた仕事は たのしかったけれど、仕事そのものを選ぶことは すなわち どういうことをやるかという選択権は私には与えられていなかった。当時 私の気持ちのなかで 「データ 設計のための自らの モデル 技術」 を作りたいという意欲が次第に芽生え始めていました。ビル さんの興味は、当時、コンピュータ の領域から政治・経済のほうに移っていて、彼の講演・著作も政治・経済の分野が多くなっていました──当時、日本企業 (複数) は米国の マンハッタン に建つ高層 ビル を次々と買って、日本製の自動車が米国市場を席巻して日米貿易摩擦が起こって、米国の政界では いわゆる Japan bashing が吹き荒れていたので、ビル さんは日本を擁護する論客になっていました (ビル さんが政治・経済の分野のほうに活動を移した理由は、米国の ソフトウェア を日本で扱うには米国に対して支払う royalties が 当時 50%だったのを 10%に下げることにあったのです)。ビル さんが政治・経済に関心を移したので、私が彼に対して貢献できることがなくなった。そのことも私が辞意をきめた理由の一つでした。
やりたいことをやるために 「独立」 するというふうに言えば、意志の強い・闘志満々の ヤツ のように思われるかもしれないのですが、私は臆病で神経質な 「文学青年」 気質が強い。そのために、私は、大学 4年生の時、就職が怖くて大学院に逃げこんでいるし──いわゆる モラトリアム 人間です (苦笑)、研究したくて大学院に進学した訳ではない──、大学院 (博士前期課程) 修了後 30歳になるまで (ビル さんの会社に勤める前まで) には転職を 6回していて (いずれの会社でも仕事・人間関係が嫌だった) 無職もやっています──私は社会不適合者だと自ら思っていました。私が仕事を面白い・たのしいと思ったのは、ビル さんの下で働いた時です。
私は、協調性がなくて、他の人からどうこう言われるのが大嫌いな性質です。そういう ヤツ は独りで仕事をするしかない。私が 「独立」 して1年後に ビル さんと ひさしぶりに会食した時、ビル さんは次のようにおっしゃった──「マサミ は (社員を雇わないで) 独りでやっていきなさい」。ビル さんは、私の性質を的確に御見通しだった──だから、ビルさんは、私が彼の下で働いていた時 私をあれほど自由にしてくださっていたのでしょう。そして、それ以来 今まで、私は独りで仕事をしてきました (いわゆる フリーランス で仕事をしてきました)。独りで仕事をしてきたことが私の強み (長所) でもあり、逆に短所 (欠点) でもあるでしょうね。
誰にも制約・束縛をうけないで独りで仕事をやれば、そして その仕事を自らの意思で選んだのであれば、仕事は自由に [ 自らの才量・裁量で ] 進められるので、仕事は たのしい。しかし、そのいっぽうで (引用文が云うように) Liberty means responsibility──その自由にともなう責任を負うのも自分自身です、responsibility の可算名詞の意味は責任・負担・重荷ですが不可算名詞として信頼度・義務履行能力・支払能力という意味もあります (「独立」 した後、事業がうまくいかず廃業・破産も起こりうる)。Liberty には責任 (時には、債務不履行に陥ること) が生じるので、多くの人たちは liberty を怖がる (That is why most men dread it)。
私は ビビリー (臆病者) です。「独立」 した後、営業が苦手なので営業活動を一切やってこなかったし、会社の経営・管理も一切やってこなかった。仕事の依頼が たまにあれば、仕事を 勿論 一所懸命に打ち込みましたが、新たな モデル 技術 (事業分析・データ 設計のための モデル 技術) を作るために 「独立」 したので、年間のほとんどを書物を読む学習研究に費やしていた。それでも 「独立」 して 30年 (来月で 31年) なんとかやってこれました、私は事業をやるために独立した訳ではないので収益を増す事業活動をしないままで学習研究に専念していて貧乏です──営業活動も一切して来なかったし、宣伝広告も一切して来なかった、それでも 会社を 30年 継続してきたというような自慢話を私はしているのではなくて、私は そもそも事業を営むために会社を設立したではないということを言いたいのです。やりたいことをやるために 「独立」 したのです──言い替えれば、新たな モデル 技術を作るために学習研究を続けて、自分の才量を以てして それができるのか、そして自分 (の思考・思想) が モデル 技術を作る過程で どのように変わっていくのか、ということを試しながら自分自身の思想遍歴を凝視したかった (そういうことをやりたがるという性質が 「文学青年」 の特性でしょうね)。
学習研究を続けてゆくためには生活費を稼がなければならないので、仕事の依頼があれば 勿論 仕事をこなしてきたけれど、自分で仕事を獲得しにいったことは一度もない。生活のために働く (金銭を稼ぐ) というような感覚を私は 全然 持ちあわせてはいなかった。それでも、30年のあいだ、生活していくだけの収入を稼ぐことができたことを良しとすべきでしょうね。そういえば、ビル さんが、「マサミ は (社員を雇わないで) 独りでやっていきなさい」 と助言してくださった時に、次のことも忠告してくださった──「儲けることを考えるな (金儲けを一義にするな)」、と。ビル さんは私の性質 [ 私が何に対して興味をもっているか、ということ ] を御見通しだったのでしょうね。
仕事上の制約・束縛を他人からうけないで、自らの興味の向くままに仕事をして、貧乏ながらも その少ない稼ぎで以て生活して──私は住居にも食べ物にも ファッション にも興味がなく、月々の生活費は少なくても困らない──私には定年退職がないので仕事を長く続けて、仕事や学習研究のなかで自らの感情 (知・情・意) が どのように変遷してゆくのかを観ることが私には愉しい。書物を読む以外にこれといった趣味のない私には、終日 家に閉じこもって興味の赴くままに仕事・学習研究をして その探究を愉しんでいる時こそ いちばん 自由を感じる時です。芸術家でも学者でもない私は社会的評価とは無縁なので、浮雲の生活を送っています。
たぶん 多くの人たちは最初、自由に向かって ため息をつく──自由は手の届かないものとして。私は自らが自由であるとは思っていないけれど、気ままに生活してきたほうだと思う。事業をやるとか金銭を儲けるとかということを端 (はな) から思っていないのだから貧乏であるのは当然でしょう、それでも生活してゆくだけの最低限の収入は得ている。つらつらおもんみるに、高校生の頃に沁み着いた 「文学青年」 気質は 68歳にならんとする今でも 私の性質の中核に どっしりと固まっている。世間と反りがあわない・協調性のない・他人からの指示を嫌う──それゆえに会社組織にとどまることのできなかった──「文学青年」 が作家になることは ついぞできなかったけれど、自らの著作 (技術書) を九冊出版してきたし、モデル 技術 TM を作ることもできました。事業をやるために独立するのが ほとんどの独立形態だろうけど、私のような 「独立」 の やりかたも存るということ、先ず 「独立」 して、誰にも制約・束縛されないで自らの作品を作る──そういう独立形態があってもいいのではないか。そういう独立形態は特異なことでもなくて、芸術家たちのあいだでは普通のことでしょう、だから エンジニア にもできない訳ではない。私は、40歳代の頃、私のやっていることは 「代用品」 にすぎないのではないかと悩んだことがあったけれど、その 「代用品」 というのは作家 (小説家) になれなかった私が それの疑似体験として モデル 技術作成をやっているのではないかということだったのだと今になって思う。
「独立」 して やりたいことに専念したいが、そういう生活に飛び込めば安定した収入を得られないので二の足をふんでいるというのであれば、そういう生活に飛び込むのは止めたほうがいい。やるかやらないかは覚悟の問題です──覚悟が揺らぐようなら、やらないほうがいい、もし 「独立」 して仕事がうまくいかなくなったときに、きっと後悔するはめになるから。事業をやる (儲ける) ために独立開業したいと思っている人は、事業をやって成功した人たちの書物・ブログ を読んでください──私の 「独立」 の やりかた は、事業をやりたい人たちには 全然 役立たないから。
やりたいことがあれば、そして それを実現できる可能性が少しでもあるのであれば、さらに それを実現するために粘り強く工夫を続けていけば、「独立」 してやっていけるでしょう。自由であることに気がついていない時こそ、言い替えれば仕事に専念して余計なことを考えていない時こそ、いちばんに自由なのかもしれない。そうだとすれば、自由になる技術とは、やりたいことを確実に実現する技術にほかならないのではないか。
(2021年 5月15日)