Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Loneliness の中で、次の文が私を惹きました。
Pray that your loneliness may spur you into
finding something to live for, great enough to
die for.
Dag Hammarskjöld (1905-61) Swedish diplomat.
Diaries, 1951
Loneliness and the feeling of being unwanted
is the most terrible poverty.
Mother Teresa (1910-97) Yugoslavian missionary in Calcutta.
Time, 'Saints Among Us', 29 Dec 1975
Loneliness は、lonely からの derivatives、そして lonely には次の語義があるとのこと (Pocket Oxford Dictionary )──
1. sad because one had no friends or company.
2. spent alone: lonely days.
3. (of a place) remote.
同じ語義をもつ単語として lonesome があって、lonesome は同じ辞書によれば esp. N. Amer. lonely とのこと (「特に北米で使用される」 とのこと)。
引用文の一番目は辞書が記述している語義の 2. にあてはまるのかな、引用文の意味は 「あなたが独りでいるなら、生き甲斐を見つけるように、やりたいこと (すごくすてきなこと) を見つけるように祈りなさい」 ってことかな──友だちがいなくて独りだからといって寂しいということではなくて、独りになれば自己を丁寧に省察することができるので、自己の生き甲斐そして やりたいことを じっくり探しなさい、ということでしょうね。我々は社会生活を送っているので他人と接触しない lonely という状態は寂しい状態だけれども、いっぽうで 他人との つきあい を絶縁して自己が ほんとうにやりたいことに思い巡らすことができるという利点もある。特に、「文学青年」 気質の強い、あるいは孤独でいることを平気な人たちは、孤独である状態のなかで、やりたいことをやるという利点を愉しんでいるのではないか (私は まさに そうです)。
生き甲斐とか自ら殉ずるに値する大義などという たいそうなことを私は考えてきたことはないけれど、少なくとも私は嫌いなことをするために自らの労力を割くのは避けてきたし、好きなことしかやってこなかった──勿論、就職してから直ぐに そういうことができた訳ではなくて、新入社員は先ず仕事の基本を覚えなければならないので私も当初は嫌々ながら [ 我慢しながら ] 仕事をしていました、ただ仕事をしていても 「この仕事は私がやりたい仕事ではない」 という意識が とても強かった。しかも、職場での人間関係は私の精神を 「少なからず」 圧迫していた。でも、私は責任感が強いほうで嫌々ながらも仕事を一所懸命にやっていました、ただ そんな状態を耐え続けることが ばからしいという思いが私のなかで どんどん強くなって、ついに私は仕事を辞めた──そういうことを 30歳すぎまでくり返して、私は その間 転職を 6回ほど重ねていました。当時、私が就職していた会社は、世間的には名の通った会社で年収も良かったけれど、私は仕事も人間関係も嫌で嫌で、(私は仕事には一所懸命であったと思っていたのですが) 嫌な仕事に対して 心底 本気になれる訳がない。大学院入学時から 30歳までの私の生活は 「黒歴史」 として封印して今まで 一切 口外していない。私が仕事に本気になったのは、30歳を越えてからのことです。
私は若い頃 (高校生の頃) から今に至るまで 「文学青年」 の気質が強い──独りでいることを好み、読書が好きで、自らの精神の遍歴を探ることを いちばんの愉しみにしています。そして、そういう 「文学青年」 の弱点も [ すなわち、私の欠点も ] 知っている [ 弁 (わきま) えている ]。良寛和尚 (禅僧) が詠った歌 「世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる」 に私は共感しています。西行法師の恋歌 「 はるかなる 岩のはざまに ひとりゐて 人目思はで もの思はばや」 (新古今集巻12・恋歌二・1099番) を私は恋歌としてではなくて 「ひとり遊び」 を詠った歌とみなして好んでいます。私の性質は、そういう歌に惹かれている。私は、メールの発信者として自らの名前を綴るときに、「引きこもりの下流老人、藤美庵主人 臥竜 MS」 というふうに綴ることが (私信では) 多いのですが、30歳以後 (厳正に言えば 40歳以後) 生活のために金銭を稼ぐことをしないで──実際、独立してから今まで営業活動を一切してこなかったし、広告宣伝も一切やってこなかったし、自ら仕事を獲りにいったことは一度もないのですが──自らの好きなことしかしてこなかったし、それ以前の豊かな年収を捨てて、貧乏ながらも 「お気楽な」 生活を今まで送ってきたので、「引きこもりの下流老人、藤美庵主人 臥竜 MS」 という雅号 (?) を使っています www.
引用文の二番目の意味は、「孤独、そして誰からも望まれてはいないという感覚は、最も恐るべき貧困である」 ということかな。引用文の一番目は、時々の loneliness は自己を見つめるためにいい ということですが、loneliness が常時続く状態であれば最悪の状態であると引用文の二番目は言っているのでしょうね──友人や頼れる人が誰一人いない、そして自らが誰からも望まれてはいないということは絶望の ドン 底にあるということでしょうね。マザー・テレサ さんの ことば なので、彼女は そういう人たちを救うために支援活動を続けていたのでしょう。
さて、the feeling of being unwanted というのは、たぶん多くの人々── 己れが周りの人たちに比べてすぐれているし、周りの人たちに影響を与えているというふに自惚れていなければ──気分が落ちこんだときに幾度か体験している感情ではないかしら。私も 45歳くらいから 65歳くらいまでのあいだ そういう感情を幾度も体験しています。モデル TM を制作する過程において、或る着想が浮かんで この着想を追究していけば なんらかの新たな技術を形にすることができると思って数ヶ月あるいは一年ほど努力を続けて ついには その努力が実らず新たな技術は生まれなかったということを幾度も体験してきて、己れの無才を嘆いて落ちこんだとき、そして止せば良いのに学習研究するときに モーツァルト の ピアノ・コンチェルト を BGM として流して 「ながら学習」 をしているから、気持ちが落ちこんでいるうえに モーツァルト の ピアノ・コンチェルト の アンダンテ や アダージョ を聴けば、もうもう 「俺なんて この世に居なくてもいい」 という感覚に襲われました。
現在 (68歳の今)、そういう悲観的な感情は起こらない、たぶん 66歳くらいのときから そういう感情が生じなくなった。その理由は、意外にも簡単なことでした── 66歳くらいから 2日あるいは 3日に一回、身体運動 (歩行運動 30分、逆腹筋、階段 70段の昇降 5往復) を習慣にするようになったからです、精神の疲労を肉体の運動で癒やすようになったからでしょうね。医学の父と呼ばれている ヒポクラテス は次のように言ったそうです──「気分が悪かったら散歩に行きましょう。それでも だめなら、もう一度 散歩に行きましょう」 と。身体運動が気分に良い作用を及ぼすことを私は頭ではわかっていたのですが、身体運動というのは実際にやってみるしかない、「やるか、やらないか (do or not do)」 というのは意志 (決断) の問題です──「練習は嘘をつかない (筋肉は嘘をつかない)」 とも云われますが、身体運動の効き目が目にみえて現れるには 当然 或る程度の月日が掛かります、速効などない、速効がないということは地道な努力を続けるしかないということです。「持続は力なり」 とは昔からの言い伝えにあるではないか。ことばを弄して実践しない非生産的な輩 (口先だけが達者な 「批評家雀」) を私は いちばんに毛嫌いしています。
(2021年 8月 1日)