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Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my Soul. (Lolita, by Vladinir Nabokov)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Lust の中で、次の文が私を惹きました。

    Licence my roving hands, and let them go,
    Before, behind, between, above, below.

    John Donne (1573-1631) English poet.
    Elegies, 18, 'Love's Progress'

 
    Oh, to be seventy again!

    Oliver Wendell Holmes Jnr (1841-1935) US jurist.
    Said in his eighty-seventh year, while watching a pretty girl
    The American Treasury, (C. Fadiman)

 
 Lust の意味は、(過度の)性欲・肉欲(very strong sexual desire, especially when love is not involved (OXFORD Advanced Learner's Dictionary ))。

 引用文の1番目の意味は、「(女体を)あちこちと撫で回す」 ということですね。そして、引用文の 2番目の意味は 「70歳にもう一度なりたい」── 80歳になった老人が若い可愛い女子を見て言ったとさ、それにしても 70歳に戻りたいとは、、、ふつうなら 30歳とか 40歳に戻りたいと言うだろうに、、、70歳に戻りたいというのは そうとうな精力絶倫の エロ じじい だね。

 私が介護施設で介護 ヘルパー (夜勤専門) として働いていたとき (60歳から 64歳まで、5年 3ヶ月 働きました)、80歳前半の男性入居者が次のように言っていました──「もう勃ちはしないが、ポルノ・ビデオ を観れば ムラムラ する」 と。彼は、自分の住居である個室 (ワンルーム・マンション のような居住部屋) で ポルノ・ビデオ を ときどき 観ていました。彼の話を聞いて、80歳になっても性欲は衰えないのかと私は驚嘆しました (勿論、性欲については個人差があるでしょうね)。老人 ホーム での居住者 (要介護者) は健常者と同様に性欲があって──性的生活は個人事なので、大っぴらにすることができないけれど──、女性の介護 ヘルパー とのあいだで ときどき トラブル を起こし やっかいな問題です。女性介護 ヘルパー が男性居住者を介護 (入浴介助、起床介助、就寝介助など) するとき、往々にして セクハラ (胸・尻や股間を撫でる) をうけることがある。私と女性介護 ヘルパー が夜勤のときに、男性居住者が女性介護 ヘルパー を付け狙い、「金銭を払うから、やらせろ」 と迫ったことがあった (私は女性介護 ヘルパー を洗濯室に匿 (かくま) って、男性を阻止しました──こういうことは めったにないのですが、居住者が (全員、認知症です) 暴力をふるうとか女性介護 ヘルパー に セクハラ することが 万が一 起これば、それらに対応するために、夜勤では、男性介護 ヘルパー が必ず 一人は入ることになっています)。

 介護 ヘルパー の同僚 (女性) が言っていたのですが、男性は惚 (ぼ) けたとき、食惚けか色惚けの どちらかになることが多いようだと。私は、食惚けにはならないでしょう──というのは、昨年の末から、健康のために食事に気をつかうようになって、食事は粗食 (玄米、野菜、豆腐、魚、卵、味噌汁、りんご・バナナなどの果実という メニュー が主になっていて、そして時たま ニラレバ炒め、カツカレーライス、ラーメン、チキン唐揚げ、鮨など食す補助 メニュー) で、16時間断食を実践していて まいにち 1.5食か 2食しかとらないので、豪華な食事には興味もない。でも、私は色惚けになる確率は高いと思う──若い頃から数多くの文芸作品を読んできて、それらのなかには男女の情愛を描いた作品も少なくなかった。ただし、私は小説家ではないので、森鷗外の 「ヰタ・セクスアリス」 のような性的生活の自叙伝を公にするほどの作家たる覚悟はない、森鷗外は軍医であったので自らの性欲を沈着に観察することができたのでしょうが、市井の民たる私は自らの性欲を公にするほど厚顔ではない。

 私は、川端康成氏の作品を好きです──取り分け 「眠れる美女」 を大好きです、作家直筆の影印本を所蔵しています。「眠れる美女」 の文体は、細部の描写に こだわりつつ、抑制された筆致なので、官能を いっそうそそる。「老人の性愛ほど、崇高で美しいものはないであろう」と萩原朔太郎は 「絶望の逃走」 のなかで綴っているけれど、きっと そういう感覚は詩人の感性で捉えられるのであって、私のような程度の凡人には、矢っ張り 若い人たちの性愛のほうが美しいと思う。私は若い頃 (20歳くらいのとき) トルストイ 作 「クロイツェル・ソナタ」 を読んだけれど、彼の性愛否定の人生観には共感できなかった。寧ろ、仏教のなかで造形されてきた観音像を観れば、(不謹慎だと非難されるでしょうが) その豊満な肉体に私は官能を感じる──戒律と官能のはざまで揺れ動く [ 翻弄される ] われわれの心の裡を仏師たちは刻んだのではないかと思うほど きわどさを私は感じる。

 私 (68歳) は、もうすぐ 70歳という節目を迎えます、老齢の欲情とは どういうものなのか、、、今の私の思いを代弁してくれている文を見つけたので次に引用しておきます、今の私の思いに とても近い──

    子供が美しい花を見るとすぐさまつかみとって、うっとりするような
    花の形と匂いとを一瞬に台無しにしてしまうのを同じような幻滅が、
    性欲にはつきものである。一方後退 (あとずさ) りする人間には
    十分に花の輝きが見られるのだ。必要なら甘んじて手を出さない
    でおく人間こそが、ほんとうに花を手に入れることになるのだ。
    (エドワード・カーペンター、「愛の哲学」)

 
 (2021年12月15日)

 

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