Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Marriage の中で、次の文が私を惹きました。
Marriage is like cage; one sees the birds
outside desperate to get in, and those inside
equally desperate to get out.
Michel de Montaigne (1533-92) French essayist.
Essais, Ⅲ
Marriage の セクション には、135篇もの引用文が掲載されていましたが、それらの引用文をすべて読んだあとに私が気に入ったのは上記の引用文のみでした──ほかの引用文 (の中味) は、大人であれば (結婚してようがいまいが) 想像できるものばかりであったので、一々論点にしなくてもいいと判断しました。上記の引用文も わかり切った中味なのですが、結婚について述べる際に多く引用されているようなので [ 実際、私は、この引用文を ときどき 目にしてきましたので ] この エッセー でも引用した次第です。この引用文の訳は、「結婚は鳥籠のようなものだ。外にいる鳥たちはいたずらに中に入ろうとし、中にいる鳥たちはいたずらに外に出ようと もがく」。
モンテーニュ の この ことば と同じことを、彼よりも遥か遠い昔に生きた哲学者 ソクラテス が次のように言っています──「結婚したほうがいいのか、それともしないほうがいいのかと問われるならば、わたしは、どちらにしても後悔するだろう、と答える」と。そして、悪妻を娶れば、男は哲学者になるだろうと ソクラテス は言っています www.
結婚したければすればいいし、独身でいたければ独身でいればいいではないか──「結婚 vs 独身」 などという stereotyped な論議など ナンセンス だと私は思っています。結婚しようが独身でいようが、畢竟 ソクラテス や モンテーニュ の言うように、どちらも後悔するのだから。そして、もし 結婚して あるいは独身でいて、後悔などしていないというのであれば、それでいいではないか。
私は、結婚する気など さらさら なかったけれど、33才の頃に家庭教師をしていた家の奥さんに勧められて──私は息子さんの家庭教師をしていました──、見合いを 5回しました。4回は、見合い後に相手から断られた。断られることが続いたので [ 私は、結婚する気がなかったので、断られるのなら断られたでいいと思っていたのですが ]、奥さんが心配して次のように私に訊いていらした──「先生、(見合いの席で) どういう話をなさったのですか」と。私は、正直に次のように答えました──「哲学と坐禅の話をしました」と。奥さんは少々呆れた顔をなさって、「先生、そういう席では、そういう話をしないほうがいいですよ」 と私をたしなめられました。5回目の見合いは、奥さんの友人の知り合いの娘さんと二人で新宿で (紀伊国屋書店の前で待ちあわせて) デート (夕食) して、私は断られると思っていたのですが、なんと 彼女は断らなかったのです── その相手が今の カミサン です。本気で結婚しようと思ってもいなかったので、私は かえって 慌てふためいた www. 私が結婚した年齢は 34才です。
結婚すれば、それぞれの家庭には それぞれの ドラマ があるでしょう。それぞれの家庭で起こる ドラマ には それぞれ個性があるでしょう。それは、当たり前のことであって、それぞれに個性をもった二人が結婚して織りなす生活の綾は、千差万別なのだから。そして、その綾には、喜怒哀楽がしみこんでいる。それぞれの家庭には、それぞれの流儀があって、それは外の人が とやかく言うべきことじゃないでしょうね。私は結婚する気など さらさら なかったけれど、結婚してみて不満を覚えている訳でもない──勿論、一人でいるときに満喫していた自由は幾ばくか制約されたけれど、二人でいるがために感じる充実感も覚える (独身ならば、その逆も真でしょうね)。結婚したければ結婚すればいいし、独身でいたければ独身でいればいい。
(2022年 3月15日)