Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Mediocrity の中で、次の文が私を惹きました。
Mediocrity knows nothing higher than itself,
but talent instantly recognises genius.
Arthur Conan Doyle (1856-1930) British writer.
The Valley of Fear
Much of a muchness.
John Vanbrugh (1664-1726) English architect and
dramatist.
The Provok'd Husband, Ⅰ:1
Mediocrity は 「平凡」 ということ。引用文の日本語大意は、それぞれ、「平凡ほど普通以上のものはない、しかし才能というのは直ぐに天才の存在を認める」 (あるいは、平凡ほど普通以上のものはないと思いつつ、いっぽうで (自分は) 天才だと思っている)、「似たり寄ったり」。
私のような程度の才は、平凡の最たる例でしょうし、一部の天才を除いて、ほとんどすべての人たちはそうではないか、天才なんてそうそう居るはずもなく 社会は圧倒的大多数の凡人に溢れているでしょう、だから Mediocrity knows nothing higher than itself と思ったとしても当然なことでしょう。しかし、そういう凡人でも、天才と会えば直ちに天才を認知できるし、社会を変革するような思想・技術・制度を創り出すのは天才だとわかっている。そして、自らは平凡な人間だと思いつつも、いっぽうで自らを平凡な他人とちがう天才だと思いこみたがっている傾向もあるのではないか──特に、自らの力を証明する仕事を持っていない学生の頃には、その傾向が強いのではないか (正直に言えば、私は大学生の頃、そういう傾向が強かった)。
自らの力を証明する仕事を持たない学生の頃には、自らの個性 (性質) を周りの人たちと比べるしか手立てがないので、その学生が天才たちの著作を読んで天才たちの思想にかぶれて、周りの人たちのことを平凡な俗な下衆 (げす) と見下して、自らを天才なんだと思い込む (というか、そう思いたがっている)。私も大学生の頃、この罠に見事に陥ってしまっていた。そして、大学を卒業して就職すれば、否応なしに仕事に就くことになるのだけれど、学生時代に読んだ天才の著作を頭のなかだけでわかってつもりになっていて、天才の思想は高尚なものであって、その思想は俗な仕事なんかとは無縁であると思い込んで、世間の仕事と折りあいがつかなくて不満やるかたない状態に陥る。私の 20歳代は まさに そういう状態でした。そういう状態のなかで、やる事なす事が面白くなくて、世事に対する反応が どうしても変人じみてくる。周りの人たちからは変人であると云われ、そう云われることを逆に誇りに思ってしまう──「俺は、オマエたちとは違うんだ」 と。
天才たちは変人が多いのは確かでしょう、ただ その変人たる性質は、自らの仕事に全身全霊で打ち込んでいるがゆえに周りのことが眼中にないという状態であって、凡人が変人を気取るのとは訳が違う。凡人が天才を気取るのは装っているにすぎない。この装いを私が完全に脱却できたのは、40歳頃になってからです──自らが全力で打ち込むべき仕事を見出した年齢が 40歳の頃です、この点については本 ホームページ のなかで かつて 綴っているので、ここではその仕事について述べることは割愛します。
私は今月で 69歳になるのですが、40歳から 69歳に至るまで その仕事に打ち込んできました。その仕事を為すうえで私は変人を装うこと (全力を尽くしてやるべき仕事を持たないくせに変人を装うこと) は免れたけれど、仕事上 成したことを顧みれば、凡人 (平凡) にすぎなかったということを仕事の結果として はっきりとした形で思い知らされました。私は、天才ではなかった自分を嘆いている訳じゃない、天才でない自分が為してきた仕事に対して私は誇りを持っています、仕事は私の偏った考えかた (天才に付帯する変人的性質を装うこと) を一掃してくれました。だから、今の私は、自信過剰な人や変人を装っている人を見ると 「生理的な」 嫌悪感を強く覚えます (私自身が若い頃に自信過剰で変人を気取っていたにもかかわらず (苦笑))。しかしながら、少なくとも、40歳をこえて、自信過剰な人は思い違いをしているんではないかと思う。
われわれ凡人のなかで、他人を見下して いわゆる 「マウント を取りたがる」 というのは、目くそ鼻くそを笑うの体ではないか。そんなことは Much of a muchness でしょう。ただし、天才がわれわれ凡人とは圧倒的な才量のちがいを見せるのに対して、平凡なわれわれのあいだでは、才識のほんの少しの開きは、それはそれで実に長い年月の努力の成果であるのは誰もが認めるでしょう──ただ、それが事実であったとしても、自ら言うべきことではないでしょうね。
(2022年 6月15日)