Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Mind の中で、次の文が私を惹きました。
Brain, n. An apparatus with which we think
that we think.
Ambrose Bierce (1842-?1914) US writer and journalist.
The Devil's Dictionary
A mind not to be changed by place or time.
The mind is its own place, and in itself
Can make a Heaven of Hell, a Hell of Heaven.
John Milton (1608-74) English poet.
Paradise Lost, Bk. I
Strongest minds
Are often those of whom the noisy world
Hears least.
William Wordsworth (1770-1850) British poet.
The Excursion
引用文の一番目の日本語訳は、(「悪魔の辞典」からの引用であって) 「頭脳、名詞。われわれが考えていることを われわれが考えるために使う器官」。二番目は、「(意識・思考・意志・感情の) 精神は場所あるいは時によって変化することはない。精神は、それ自体 場所であって、それ自身のなかでは 『地獄の天国』 をつくることができるし、『天国の地獄』 をつくることができる」。三番目は、「芯の強い人たちというのは、しばしば、騒がしい世界にあって ほとんど 知られることがない」 ということかな。
引用文の一番目は、パラドックス 臭が漂いますね (笑)。小林秀雄氏は、彼の エッセー 「マルクス の悟達」 のなかで次のように綴っています──
精神は精神に糧 (かて) を求めては飢えるであろう。
ペプシンが己れを消化するのは愚かであろう。「私は
考える、だが考える事は考えない」 と。デエテ は鼻唄
でわれわれをどやしつける。こういう言葉は全く正しい。
しかしわれわれは果してこれを覚えて誤らぬか。ここに
理論と実践との問題の核心があるのである。
たぶん、引用文の一番目の意味は、小林秀雄氏のいう皮肉と同じことを暗示しているのでしょうね。
引用文の二番目は、端的に言えば、われわれの思考は、同じ事物・事象を観ても、肯定的にも否定的にも 「解釈」 できるということでしょう。われわれは、事物・事象を眼で観ていると思っているけれど、実は脳で観ているのが正しいのではないか、眼は あくまで脳が外界を観るという目的のために使われる手立てでしかない。だから、一つの 「事実」 を多くの人たちが観たとしても、それぞれの人が抱く 「印象」 が違う、「この目で観た」 と言っても その目が怪しい。頭が目を欺 (だま) す。仏教では、この妄想のことを 「一水四見」 と云い、「莫妄想」 と戒めています。「事実」 は一つであっても、それについての 「解釈」 は色々に成り立つ。そうであれば、或る程度 思考力のある人であれば、一つの 「事実」 について、もし賛否を問われたならば、賛否両論を立てることができるでしょう。それが言語の性質でしょう──だから、「ここに理論と実践との問題の核心がある」。
学問上の論理的 「証明」 を除けば、日常生活において、ことば巧みな人を私は先ず信用しない。日常生活では、私が信用する人というのは、「信仰」 (覚醒した信仰) を以て意欲し計画し実践する人です──ここでいう 「信仰」 というのは宗教的な意味あいではなくて 「信念・確信」 に近い意味です、逆上 (のぼ) せた盲信 (妄信?) ではない、醒めていること。そういう人たちは、喧騒な世の中 (noisy world) を横目で眺めながら、自身の道を地道に進んでいくでしょうし、騒がしい世の中では そういう人たちは ほとんど知られることがないでしょう。観衆目当ての演戯など見向きもしないで、成すべきことを為す人たちを私は尊敬します。私は 職業柄 どうしても講演・セミナー の講師を務めるのですが、講師を務めているときには聴衆の喝采を狙う派手な言動をしなければならないので、壇上を降りたあとには言い知れぬ自己嫌悪に陥る。若い頃 (30歳代・40歳代) のとき、私は目立つための わざとらしい行為を そこまで嫌だと感じていなかったけれど──正直に言えば、寧ろ快感を覚えていましたが──、年老いるにつれて、嫌悪感を覚えるようになってきました。私は 今 69歳です、85歳くらいまでは現役で仕事を続けたいと思っているのですが、私の職業柄、講演・セミナー を 一切 行わないということができない、悩ましい問題です、、、。
(2022年10月15日)